『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』

『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』は2017年5月から2019年4月まで本ブログ管理者である平民金子が執筆し神戸市広報課サイトにて連載されたコンテンツです。現在神戸市広報課サイトに本コンテンツは掲載されておりませんので、このたび神戸市さんのご好意により本ブログへの転載許可を頂きました。記事の著作権は神戸市にありますが、書かれた内容についてはすべて執筆者にお問い合わせ下さい。本コンテンツに大幅に加筆をした『ごろごろ、神戸。』が株式会社ぴあより出版されています。そちらもよろしくお願いします。

第12回 ビッグ赤ちゃんイカリ山

朝から晩まで赤ちゃんのオムツ換えに追われていた時期、私は毎日のように大丸百貨店前の「元町通1丁目」と書かれた交差点に立っていた。当時はすぐ近くのファッションビルの地下に、なぜか小さな子供たちの遊び場である「キドキド」がテナントで入っていたので、私たちは元町駅を出てまず大丸百貨店で弁当を買ったり屋上で豚まんを食べたりして遊び場へ向かう。帰り道はまた大丸をのぞいて元町駅へ、そんな小さな三角形を行ったり来たりする生活を送っていたのだ。だから今でもこの交差点に立つと、過ぎた日々を思い出してせつない気持ちになる。

キドキドが閉まるのが夜の7時。ビルを出るとすっかり日は落ちていて、私たちのような子連れは繁華街にはあまりいない。ここからは仕事が終わったサラリーマンや、連れ立って飲みに出かける若い人たちの時間だ。いつものように大丸の地下食料品コーナーで惣菜が割引になっていないかをチェックしに行く。そして百貨店を出るとまた昼間と同じように、元町1丁目の交差点で信号が青になるのを待つ。
そんな時に、それはきらきらと輝いているのだった。

北方向、はるか遠くに見える山上に、船のイカリマークが植え込みで作られていて、それがライトアップされている様子なのだけれど、描かれたマークが私には、オムツ換えを待つ赤ちゃんにしか見えないのだった。
「はいはい、すぐに交換しますからね」と声をかけずにはいられないたたずまい。
これが神戸名物、錨山(いかりやま)に鎮座する『ビッグ赤ちゃん』である。

今うちの子供は3歳を過ぎて言語によるコミュニケーションもかなり発達している。
以前書いたけれど、それは「赤ちゃん」時代が終わったという事でもある。

かつてあれほど毎日のように見上げていたビッグ赤ちゃん。あの頃の、しんどいんだか満たされているんだかわからない、ただがむしゃらに過ごしていた日々はもう遠い。
秋になって気持ちよく晴れていたある日、なんとなく「会いに行くなら今だな」と思ったのだ。

元町駅から歩くと30分くらいはかかるだろうか。神戸駅三宮駅前から出ている市バスの「7系統」に乗って「諏訪山公園下」のバス停を降りるのがいちばんアクセスが簡単だ。バスを降りてすぐの諏訪神社参道か隣接する公園の下から山に登る道が伸びているから、どちらでも好きな所からチョチョイと登ればまずはすぐ、我らが金星台に到着する。

私は陳舜臣『神戸ものがたり』に書かれてある「金星台に立とう、そしたら神戸の街の息吹が感じられまっせ(意訳)」というアジテーションを読んでここに来たため、最初こそ「なんかパッとせん場所やな……」(すいません)などと思っていたのだけれど、何度かここに通ううちに、たしかに「観光地」的な派手さはないけれど、やたら広々としたこの場所の、あくまでも生活空間の延長としての居心地の良さを知ってしまった。近くで働く人が仕事の合間にお弁当を食べていたり、親子連れ(おもに私たち)がぼーっとくつろいでいたりして、のどかで良いものだ。

真下にある「子供の園」に行くと、やたらと遊具のスケールが大きく、子供のためだけに作ったにしてはえらい贅沢な広さだなと感心してしまう。けれど、このあたりは昭和の始めから終戦後しばらくまで、動物園があった場所なのだ。1951年、この場所から歩いて王子動物園に引っ越したゾウの諏訪子は2008年まで生きていたというから、まだまだ最近の事と言ってもよい。『諏訪山動物園ものがたり』(水山産業株式会社出版部)という本には、1943年から日本各地の動物園で行われた「戦時猛獣処分」がこの場所でもあったのだ、という事実が描かれている。

金星台から10分ほど歩いた場所にあるビーナスブリッジは、恋人たちの聖地である。
その事を本やインターネットで知識として得た私は、ある日の酒の席で、
「ビーナスブリッジって恋人たちの聖地なんやろ。きみらも行ったん?」
と神戸生まれ神戸育ちの人にたずねてみると「はあ?(何を言ってるんだこの人は)」と吹き出されるくらいには、まあなんというか、恋人たちの聖地なのだろう。
それよりも、私としては「ほお、ここから本田巡査がバイクで駆け下りたのだろうか」と思うこの場所が気になった。

そう、ここは恋人たちの聖地かどうかはともかく、漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の聖地なのである。父親に強引にお見合いをセッティングされた秋本麗子が、荷物持ち役の両津勘吉と一緒に実家がある神戸に帰るという話で、二人がドライブに出かけた先がこのビーナスブリッジ。途中なぜかバイク魔人の本田速人が両津たちを追って神戸までやって来て、崖を駆け下りて登場するシーンのコンクリート壁がこことそっくりだ。

ちなみに両津と麗子が並んで街を見下ろすのがこの場所で、土日祝日ともなれば全国から数万人規模のこち亀ファンが聖地巡礼としてコミック片手にここを訪れている(知らんけど)。

という話はともかく、ビーナスブリッジを歩いた先には展望広場があって、そこをさらに進んで階段を降り、再度山ドライブウェイ(下の写真の2車線道路)を渡ったところから、登山道に入っていく。
ちょっとわかりにくい気がするので写真をのせておきます。

山道を歩いていると、体を動かしている以外はヒマなので、考えごとをしながら歩く。
この日、私が考えていたのは、ハイキングと読書はものすごく相性が良いのではないかということだ。なぜなら本というのは誰かの考えが結実した成果物であるからして、もし山を登りながら本が読めたならば、登山者は道中いらぬ考えごとをしなくてすむからである。
といっても実際に下を向き本を読みながら歩くわけにはいかない。

最近はスマホの画面を機械が勝手に読み上げてくれる機能があるので、スピーカーで音を鳴らしながら歩く。こういう時にふさわしいのはまさに「山路を登りながら、こう考えた。」から始まる夏目漱石の『草枕』であろう。私は正直言って、この音声読み上げ登山は革命的な発見であり登山スタイルの大革命だと思ったのである。しかし実際にやってみたら、山道に響く朗読の機械音声が不愉快でスマホを叩き壊したくなるだけだった。

一応書いておくと、道中は全然険しい感じではないのだが、途中大雨や台風の影響だと思うけれど道がそこそこ荒れている箇所がある。大人なら注意して歩けば全然大丈夫だが、幼児を連れて歩くのはまだやめておいた方がいいです。
のんびり歩くこと40分くらいだろうか、ついに、運命のフェンスが見えてくる。

私はもう頭の中がそのようにしか見えなくなっているので、この、フェンスの向こうで横たわるモコモコが、横から見ても、間近に来た今も、赤ん坊にしか見えないのである。ようやく会えたな、と思う。神戸を見下ろすビッグ赤ちゃんがまさに今、目の前にいるのだ。サイン会等に行き、応援するアイドルに会えたファンの気持ちとはこういうものだろうか。私の場合は手に持つのは色紙ではなくオムツである。
「はいはい、ちょっと待っててくれよ(いま換えるから)」という感じだ。

この錨模様が作られたのは1903年(明治36)。ここに来る道で機械に読み上げさせて気持ち悪すぎて腹が立った夏目漱石の『草枕』が1906年の発表だからほぼ同年代。先ほど戦時猛獣処分について少し触れたが、その頃大阪の天王寺動物園で働いていたのが筒井康隆氏の父。その筒井嘉隆氏が生まれたのも1903年。つまりビッグ赤ちゃんは人生の大先輩なのである。
しかしそのような偉大な先輩であっても私にはやはり、オムツ換えを待つ赤ん坊にしか見えず、「はいはい、わかったよ」と思う。この場所で赤ちゃんはたったひとりで、たよりなく、それでいて堂々と、100年以上も街を見守っているのだ。

元町から、メリケンパークから、神戸の街のそこかしこからビッグ赤ちゃんがきらきらと輝いているのが見える。
それを見て、私はこれから出会うすべての小さな赤ちゃんに、やさしい大人でありたいと思うのだ。