『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』

『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』は2017年5月から2019年4月まで本ブログ管理者である平民金子が執筆し神戸市広報課サイトにて連載されたコンテンツです。現在神戸市広報課サイトに本コンテンツは掲載されておりませんので、このたび神戸市さんのご好意により本ブログへの転載許可を頂きました。記事の著作権は神戸市にありますが、書かれた内容についてはすべて執筆者にお問い合わせ下さい。本コンテンツに大幅に加筆をした『ごろごろ、神戸。』が株式会社ぴあより出版されています。そちらもよろしくお願いします。

第19回 思い出すのは神戸のことばかり(神戸名所案内)

おととし「一時間で神戸案内」を書いて湊川エリアの商店街や市場を軽く紹介してみたら、思いのほか多くのリアクションを頂いた。「ごろごろ、神戸2」で書いていた場所に行ってみたよ、などと言われるといくら性格がねじくれた私でもうれしいものだ。それも他府県から旅行でやって来た人が貴重な時間を割いてまでそんな事をしてくれるなんて格別である。もしかしたら、このような変な広報ブログを読んでいる人は、私が案内する決してアッパーとは言えない、ちょっとくたびれたおっさんの若干フケの落ちた背中みたいな神戸を歩きたがっているのではないか。なに? 書いたらその通りに行ってくれるって? だったら調子に乗って他の場所の事も書いてみるかと、そんな気になったのである。というわけで今回は、年始の寿司屋巡りで金を使い過ぎたので金がかからない神戸案内をしたい。途中でおなかがすいたら大きく息を吸い込んで、空気を食べる。

まず最初は、昨年完成した直後から私がひとりで素晴らしい素晴らしいと大騒ぎしているJR・阪神元町駅前の巨大ベンチに座ってほしい。もう、いっそどこへも行かずにここで一日過ごしたっていいくらいだ。冬の寒さは体をゆすっていればなんとかなるだろう。夏の暑さも、たとえば8月にラジオで野球を聞きながらこの場所でビールを飲んでいるとまるで無料だった頃の甲子園球場外野席(高校野球)にいるようである。
このベンチは私にとって、近年神戸市がやってくれたいちばんありがたい事業なのだ。元町駅は三宮に隣接する都会であるにも関わらず、そんな駅前の超一等地に老若男女、赤ちゃんから動物までみんなが何もせずにくつろげるスペースを作ってくれた。ありがたいこっちゃで。

初めて神戸に来た人と待ち合わせをする時でも「元町駅東口を出たら目の前にでかいベンチがあるからそこに座っといて」とだけ言えば絶対に迷わない完璧な待ち合わせ場所である。どこでも人が集う場所がそうであるように、ごくたまにゴミや吸い殻を捨てている人を見かけるが、私はもうこのベンチが自分の家みたいな感覚になっているので、たのむから大事に使ってくれと心配になる。これから何十年たっても、元町の名物としていろんな人から愛される存在であってほしいものだ。……というような、誰も聞きたくはないであろう私の巨大ベンチ讃歌を8時間ほど聞いた後は、三宮方面に歩きましょう。

元町駅から三宮方面に伸びる商店街(三宮センター街)はキドキドがあった頃毎日のように通った道なので思い出深い。歩くとすぐにトアロードにぶつかり、そこからはセンター街と三宮本通商店街の、2本の商店街に別れる。その左側、センター街2丁目と書かれた商店街に入るとすぐ頭上に献血センターの目立つ看板が見える。それを目印に左を向くとセンタープラザ西館の入口だ。一階のエスカレーター前には愛用の中華鍋を買った西尾調理道具専門店があって、炎の料理人でもある私はそこで各種調理器具にまつわる講釈を垂れたいが、それは神戸案内とは関係ないので省く。

三宮は大規模な再開発が行われるのでこれからの数年で大きく大きく町なみが変化する。つい最近の神戸新聞ではついにこのエリアの事が触れられていて、まだ「再整備に向けた調査に着手」という段階だから時間は相当かかるだろう。数年でこの一帯がどうにかなるとは思わないが、しかし10年15年先にどうなっているかはまったくわからない。ぶらぶら歩きながら壁に貼られた避難経路図を見ているとJRではなく国鉄と表記されていて、こういうのを見ると私はうれしくなるのだが、つまりはそういう場所なのだ。

このあたりはセンタープラザ西館、センタープラザ、サンプラザと3つのビルがくっついていて、地下を歩けば膨大な数の飲食店や古い市場、地上二階三階にはゲーム、おもちゃ、食器、漢方、喫茶店、フィギュア、プラモ、漫画、楽器、レコード、パソコン、服、下着、宝石まで何でもかんでもあれやこれやと店が並んでいる。何よりもこの一帯はトレーディングカード愛好家が集う場所でもあり、各店のデュエルスペースと呼ばれる対戦場所をふらりとのぞくと、大阪ジャンジャン横丁にある将棋の社交場、三桂クラブを思わせる盛り上がりである。三桂クラブの前を通ると「なぜ自分は将棋をやっていなかったのか」と悔しい気分になるが、センタープラザを歩くと「今からでも遅くないからカードゲームの勉強をした方がいいのではないか」とあせる気持ちになる。やけくそ気味に書くとこのあたりは神戸の中野ブロードウェイなのだ。中野ブロードウェイをもしご存知ない方がいたら適当に調べてほしい。東京の中野にある大変ややこしくて大変過ごしやすいビルです。

センタープラザ西館からセンタープラザへと通じる通路(二階部分)には、ひなびた休憩所がある。私は疲れやすいのでベンチが大好きだ。ちなみにこの休憩所に建っている銅像の名前こそが、声に出して読みたい日本語ランキング兵庫県第4位「港のセブンティーン」である。「神戸に行って港のセブンティーンを見てきたよ」と言えば誰もがうらやましがるだろう。ちなみにここは愛煙家が集う場所でもあるので、苦手な人は他のベンチをあたろう。他とはどこかというと、この休憩所のすぐ目の前から三宮センター街を挟んだ向かいのエイツビル(ジュンク堂がある所)に渡るための高架通路があるので、そこを渡れば謎の大量ベンチ軍団と出会えます。

謎と書いてみたが別に謎ではない。これは2017年から3Fストリートという名前で、学生さんが色々設計してくれて、その結果ありがたいことにスペース全部を木の椅子だらけにしてくれたのだ。考えてみれば元町駅前ベンチもデザインしてくれたのは地元の学生さんである。これからは若者をリスペクトしながら生きるようにしたい。この椅子ロードは出来たばかりだからか通る人もあまりいないので、週末などどんなに下の商店街が混雑していても余裕を持って座れます。

しかしいま休憩所からここまで来た道のように、商店街の二階部分に高架通路があって人々が歩く上空を行ったり来たり出来るハイカラな場所を私はもうひとつ知っている。そう、それは我らが湊川商店街である。写真を並べてみるとどうだろう、どちらが湊川商店街でどちらが三宮センター街かまったく区別出来ないではないか。この場所を今日から、三宮の湊川商店街と呼ぶ事にしよう。

ちなみに、来た道を戻って今度はひなびた休憩所のすぐ真上に行ってみて下さい。ここは3階部分の連絡通路になっていて、船舶窓を模したような丸窓がある。この丸窓こそが「神戸の尾州不二見原」と呼ばれる(一応注。呼んでいるのは私ひとりです)葛飾北斎ファンの聖地なのである。私は通りすがりに雑に撮影してしまったけれど、阪急電車と道行く人々と神戸の山を1フレームにおさめる事が出来るのだ。どうですか、ここまで「港のセブンティーン」「三宮の湊川商店街」「神戸の尾州不二見原」と市内重要名所を訪ねてきた。絶対に試験に出ると思いますよ。

そして、ようやく会えたね、という感じのマゼランくんと三宮名物チンアナゴ時計である。
場所は、センタープラザとサンプラザの間の2階広場。
(先ほどからセンタープラザ西館とかセンタープラザとかサンプラザとか、いちおう私は地元なものでビル名を書き分けているが、そんなものは他府県の方にとっては知ったこっちゃないだろう。だから別に気にしなくてもよいです。よくわからんけどごちゃごちゃとした一帯、くらいの認識でお願いします。)

思わず拝みたくなる立派なお姿。昔は時計の上のピエロが動いたのかな? 今もネジ回しの人形だけは30分に一回音楽といっしょに律儀に稼働している。そして、下を見ると神戸では須磨海浜水族園にしかいないと誰もが思っていたチンアナゴたちがこんな場所に。書かれた都市名を見ると、これは神戸市の姉妹都市の時刻をしらせてくれているのだろう。ちょうど知りたかったんだよなブリスベンの時間。この場所に立ってしばらく時計を見上げ、「マゼランくん」と書かれた字体に感動し、しゃがんでチンアナゴ時計を眺めているだけで、神戸にやって来て良かったという気がしませんか。私はします。

この場所も、三宮地区がこの先新しくなったら今まで通りではいられない気がするんです。マゼランくん(マゼランくん…!)っておそらくセンタープラザが出来た頃に建ったものだと思うので、近づいてよく見ると見た目にもだいぶ疲れた感じがするんだ。だって私と同い年だもの。このピエロの後ろ姿。動かない体。ほこりのつもった背中。私だって同じように疲れている。共感すんだよな、このくたびれた感じに。

さて、もう引き返そう。私もあなたも、たぶん人がたくさんいる場所が苦手なのだ。
元町駅前ベンチに戻って夜の八時半ころまで時間をつぶし、ここから高浜岸壁に向かいます。

歩いても別に遠くはないが寒いので、電車に乗ってJR神戸駅(か高速神戸駅)まで行こう。
そこから地下道(デュオ神戸)を歩いてハーバーランドに出るのが一番迷わないしラクです。
この時間になると、地下道もハーバーランドも駅方面に帰る人の方が多くなるのだけれど、我われは流れに逆行し、何もない夜の岸壁に立つ。すると10分ほど待てば遠くのほう、真っ暗な海に船の灯りがぽつんと見えてくる。
それがだんだんだんだん、こちらに近づいてくるんだ。だいたい21時10分くらいかな。

「この時間のこの場所が最高なんだよ」という話をこれまでに何人もの神戸人にしてみた。
けれど100パーセント馬鹿にされてしまうのだ。きみはなんてミーハーなんだ。シタマチを愛する男じゃなかったのかと。しかし私はなんと言われようとここが絶対に最高なのだと言い張って譲らない。

なぜ自分がこの風景を愛し過ぎているのか考えたんだけど、それはあくまでも個人的な経験であるのだが、大昔に人間関係をすべて断ち切って「おれは本当にひとりになった。せいせいしたぞ」と部屋にこもり映画や本にばかり耽溺していた時にフェリーニの『アマルコルド』を見たのだ。それは小さな港町の一年を追った作品で、登場人物それぞれに人生色々あるわなみたいな感じなんだけれど、ある時、見た事もないようなでかい船が港に来るらしいぞ、みんなで見に行こうぜ、となって大騒ぎとなる。みんながゴザとか弁当持ってわくわくしながら海に繰り出すんだけど船はなかなかやって来ない。そして誰もが騒ぎつかれてあきらめそうになった夜、ぼうっと大きな汽笛が鳴って、ようやく船が来た、いろいろあるが今なんかすごく楽しいぜ、みたいなその場面がずっと印象に残っているのだ。この場所で暗い海から浮かびあがってくるコンチェルト号の灯りを見るたびに、昔見た映画の場面を思い出してしまう。船が来たで、すげえな、ぜんぶOKやんけ、と。

船着き場の目の前はモザイクで、二階に上がると「海の広場」という犬や猫も連れていける場所があってそこにも大きなベンチ(というかウッドデッキ)がある。
ベンチで始まりベンチで終わった、のんびりした旅である。私は神戸が好きなのか単にでかい木のベンチが好きなだけなのかわからないが、とにもかくにも最後には船がやって来た。

というわけで、このフェリーニを語ったら、イタリアの虹を語っているみたいで、とっても語れません。イタリアの夏の花火を語っているみたいで、とっても言えません。好き好き、好き好き、好き好き、好きですね。 (淀川長治映画塾)

神戸の大偉人である淀川長治が遺した映画にまつわる語りの中で特に印象に残っているのがフェリーニの映画について語ったこの場面だ。何かを好きになる気持ちを前のめりに表明することのすばらしさが詰まっている。
私はいつまでたってもこの場所に無性にときめいてしまう自分の気持ちを大切にしようと思うのだ。
そしていつか子供にもこの場所で長い話を聞かせるのである。馬鹿にされるかもしれんけど。