『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』

『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』は2017年5月から2019年4月まで本ブログ管理者である平民金子が執筆し神戸市広報課サイトにて連載されたコンテンツです。現在神戸市広報課サイトに本コンテンツは掲載されておりませんので、このたび神戸市さんのご好意により本ブログへの転載許可を頂きました。記事の著作権は神戸市にありますが、書かれた内容についてはすべて執筆者にお問い合わせ下さい。本コンテンツに大幅に加筆をした『ごろごろ、神戸。』が株式会社ぴあより出版されています。そちらもよろしくお願いします。

第36回 なじみの場所に、さようなら

東京から引っ越した理由を聞かれた時にはとりあえず「神戸がおもしろそうだったから」とだけ答えているけれど、もう一つ「なじみの酒場が閉店したから」という、酒飲みにしか通用しないような、けれど私たちにとってはとても大きな理由もあった。三鷹駅南口にかつてあった「けいちゃん」という小さな焼き鳥屋。ある時は1人で、ある時は妻と、おそらく年間200日以上は通っていたから、その頃の私たちにしてみれば、家に帰るよりも「けいちゃん」の暖簾をくぐってガタガタのパイプ椅子に腰をかけた瞬間のほうが「帰ってきた」という感じがあった。店を1人で切り盛りするマスターは実に無愛想、私も無口。何も言わずに店に入り座ると、椅子のきしむ音を聞いたマスターがこれまた何も言わずに冷蔵庫からキリンの瓶ビールと冷えたグラスを「ドン」と音立ててテーブルに置く。料理の注文をするまでは互いに何の発話もない。まだ客のいない早い時間にカウンターでビールを飲み、黙々とこなされる仕込みの様子を眺めているのが好きだった。

そんな場所も、駅前の大規模な再開発計画でなくなる事が決まっていた。細い路地に小さな店が肩寄せ合う街なみが取り壊され、現代的な高層マンションが建設される。それは東京にいても神戸にいても、感覚が麻痺する程度には見慣れた光景だ。常連たちは「けいちゃん」の移転再開をのぞんだけれど、高齢のマスターに全くその気がない事は誰もが知っている。そして2014年の9月末日、7人も入れば満員になり、料理のほとんどが100円200円台、地元の酒飲み達にこよなく愛された酒場は店の灯を消した。これからどんどん綺麗になっていく私の街が、なんだか他人の街のように思える。ここから離れてもいいかなと思って、そんな時に神戸の事が頭をよぎった。

よく行く稲荷市場の近くに「ヤスダヤ」という古い酒場があった。買い物や散歩に行く時に毎日のように前を通っていたから存在は知っていたけれど、こちらに来て酒場通いをやめていたので行く機会もないままだった。そんな中でどうやらヤスダヤが閉店するらしいという話を聞き、この店の空気を知らないままでは惜しい、一度くらいは行っておこうと思った。しかし閉店間際になるとさすがに連日、常連さんで席が埋まっている。タイミングを測れば入る事は出来たけれど、暖簾の向こうの灯を外からながめながら「ここは私の居場所ではないからな」と思った。ひとつ空いた席に私が座るよりも、この店を愛する常連が座るべきだろう。私はヤスダヤに流れた、半世紀以上の街の歴史を想像するにとどめた。
その街で暮らす理由がたった一軒の酒場である場合だってある。くぐる暖簾の向こうに自分の居場所があるという喜び。

1月28日(日曜日)。神戸元町BALの地下にあった子供のための遊び場「キドキド」が閉店した。私たち夫婦や子供はこの場所に大変お世話になっていたのでショックが大きい。子供の「あそびばいきたいな!」という言葉を合図に、私たちは元町駅に行く。1歳頃、まだベビーカーにおとなしく座っていた赤ちゃんの時代から、自我が芽生えてきて自分の希望に沿う事以外ではまったく大人の言う事を聞いてくれない現在まで。初めて行った時に、四方を安全な壁に囲まれて入口には職員の方々が出入りを見守ってくれている場所で子供を自由に放つ時の、親の解放感というものを初めて知った。抱っこ紐から入口に赤ちゃんをおろすだけで、肩の力が一気に抜けた。平日昼間のキドキドは、保育園や幼稚園に通って夕方や週末に遊びに来る家族たちとはまた違って、一日中子供と過ごす親子にとってのアジール(避難場所)のような役割もあったと思う。

神戸の元町駅から歩いてすぐ、都市のど真ん中にこのような子連れの聖域があった意味と、それを失った意味はものすごく大きい。キドキドが元町にある事の安心感について、私は去年『子育て世帯にとっての神戸の住みやすさ』の中でこう書いた。

平日の10時半から19時まで、車やバイクや自転車が一切来ずに安心して子供を自由に放てる室内スペースが市内中心部にあるというありがたさ。これは特に四六時中乳幼児と生活を共にする専業主婦層や、育休を取って1人でいっぱいいっぱいになりながら子育てしている母親には強い味方だ。これから梅雨に入れば天候に関係なく遊ばせる事が出来るのでますます重宝する。ちなみにこれはキドキドに限らずだが、こういった児童施設に行くと子供を遊具で遊ばせて自分はスマホを見ているお母さんをたまに見かけるが、私はその気持がめちゃくちゃわかる。「ここに来てようやくほっとひと息ついてスマホが見れる」という安心感。キドキドは今のところ全国でも21箇所しかないので、これが町のど真ん中にあるというのはとてもラッキーだと思う。

これからは「神戸に住んだら元町にキドキドあるからめっちゃ便利やで」という、子育て世帯を誘惑する私の決まり文句が使えなくなってしまった。

大人が酒場を失う事は「時代の流れだな」とあきらめることもできるが、幼児の居場所がなくなってしまうのはただただ悲しい。私は、三宮で現在進んでいる大規模な再開発でキドキドのような施設がもう一度神戸のど真ん中にやって来てくれないだろうかとひそかに願っている。その頃には私たち親子は、もうこういった施設を使う必要はないかもしれない。けれど将来この街で子供を生み、育てようとしている人たちにとって、一つでも多くの「あそびば」が街にあってほしい。子供だけではなく、大人がそこに来れば、ほっとひと息つけるような場所。「あそびば、もう無いねんで」そう言って、私は子供と歩いている。さよならなんて、まだわからんよなあ。