『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』

『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』は2017年5月から2019年4月まで本ブログ管理者である平民金子が執筆し神戸市広報課サイトにて連載されたコンテンツです。現在神戸市広報課サイトに本コンテンツは掲載されておりませんので、このたび神戸市さんのご好意により本ブログへの転載許可を頂きました。記事の著作権は神戸市にありますが、書かれた内容についてはすべて執筆者にお問い合わせ下さい。本コンテンツに大幅に加筆をした『ごろごろ、神戸。』が株式会社ぴあより出版されています。そちらもよろしくお願いします。

第16回 一時間で神戸案内

「東京に行く途中で一時間ほどそちらに立ち寄るから、神戸を案内してほしい」
つい最近、九州に暮らす身内夫妻からそのような大雑把な頼みごとをされて、若干の面倒くささを感じながらも春先から神戸関係の本ばかり読んでいた私はすぐ、これは陳舜臣『神戸ものがたり』に出てくる「神戸を見たいが一時間しか余裕がないというとき、どこへ行けばよいだろう?」というテーマそのものだと思い、コラム一回ぶんくらいのネタにはなるかなという下心もあって調子よく引き受けた。と言っても一時間で何が出来るわけでもなく、普段よく買い物に行く神戸新鮮市場での食べ歩きを計画しただけだ。

時間に制限さえなければ付け替えられる前の湊川が流れていたハーバーランド近くの川崎重工あたりから出発し、つけ焼き刃の町の歴史解説をしながら新開地を北上するルートをとりたいところだが、なんせ時間がない。その辺は全部端折って、東山商店街すぐ近くの荒田公園パーキングをスタート地点に決める。ここから坂道をのぼって行くと商店街のど真ん中に出るので、車で来る相手には便利な待ち合わせ場所なのだ。

ちなみに神戸新鮮市場への車や電車、バスを使ったアクセス方法はこちらがわかりやすい。

神戸新鮮市場公式HP ミナトガワニ行こう!

私と妻と子供、そして夫妻の5人はまず最初に、坂道をのぼった先の左手(「神戸新鮮市場上湊川本通」と書かれたアーケードを入ってすぐ)にある甘酒屋をたずねた。ここは看板もなければ店の名前も書かれていないのでオープンした当初はしばらく何の店だかわからなかった。今も相変わらず看板もなければ店の名前も書かれていないが、店を囲むビニールシートの貼り紙は来るたびに増殖している。写真を見てわかるように段差も扉もないのでベビーカーでも気軽に入れて、甘酒一杯200円でくつろげる。料理も安く作ってもらえるので、とりあえずここに来ればなんとかなるというありがたい店だ。

次に我々はハートフルみなとがわに入って「肉工房まるよし」に向かう。すぐ近くの稲田串カツ店や、稲荷市場の中畑商店でも見られる光景だが、この店でもよく串をほおばる子供たちの姿を見る事ができる。大人が酒を飲みながら食べるもの、というイメージしかなかった串かつ屋やホルモン屋に町の子供たちが自然に溶け込んでいる、何度も書いているが、神戸のそんな風景が好きなのだ。

長居するような店でもないので1人2本のホルモンを注文しサクッと食べてすぐに店を出る……つもりだった。今から考えればここで夫妻の表情を見て気付くべきだったのだ。そういえば一軒目でも会話がはずまなかったし。

私は次に、商店街のにぎわいの中を泳ぐように(つまり、調子に乗って)歩いて、レモン水と冷やしあめが売られている鼻知場商店に来た。こちらのレモン水はうちの子供も大好物なので人数分、五杯を注文したのだが、夫妻から「2人で一杯でいい」と耳打ちされたので、私が二杯飲む事になった。

次はどこ行く? 「稲田」は混んでるやろうから「花りん」で骨つきマンモスソーセージ食べる? 「マルカジュース」でミックスジュースは? 今やったら「スルメのおかやん」でかき氷も食べられるけど? 「藤本」で豆乳飲む? ちょっと歩くけど「とみちゃん」の肝焼きは? 

誰の目にもわかるようなうんざりした顔でそれらすべてを断られて、さすがの私も完全に悟った。私が彼らに行った行為は「下町」の押しつけでしかなく、あきらかに彼らはこの市場の雰囲気が、ここでの食べ歩きツアーが肌に合っていないのだ。私は荒田公園のパーキングから車を発車させる夫妻を見送った後、ツアーの最後をしめる店としてとっておいた「味一」でダシ汁にソースをぶっかけた神戸たこ焼きを食べながら、世の中にはコテコテの下町文化を求めていない人もいる、という当たり前の事実を反芻していた。

神戸には「コテコテの下町文化」としか言いようのない独特の風情があちらこちらに残っており、そういうものに毎日どっぷりつかっていると感覚が麻痺してしまうのだが、誰もがそれを好きなわけではない。安いホルモン串を買って鳩の集まる公園で缶チューハイをちびちび飲む。そんな状況を好むのはどちらかといえば少数派で、せっかく神戸に来たからにはもう少しきらびやかな(?)場所を案内されたいという人も多いのだろう。私は遠くから来た誰かを案内するという場合にはつい下町方向に舵を切ってしまう。人の集まる都会の観光地に行くよりは、神戸駅からとぼとぼ歩いて平野の商店街に行き「廣林店」で野菜まんを食べ「伊勢屋」でビールを飲み、湊山温泉で湯につかる、そんな方面からのアプローチの方がおもしろいのではないかと思うからだ。

今はもう日本の多くの場所でなくなってしまった市場や商店街の個人店文化が神戸には奇跡的に残っていて、それがノスタルジーだけでなく町の中でしっかりと機能しており、第8回でも書いたが私はそこで売られている肉や魚、野菜が実際にウマい事を知っている。そして市場があって買い物客が行きかう神戸のそんな風景は町の財産であり、未来永劫、絶対に残さないといけないとすら思っているのだが、もしかすると世の中は「そんなもの別にいらないよ」という人が多数派なのかもしれない。調子に乗って決行した「一時間で神戸案内ツアー」はそんな事にあらためて気付かされた貴重な体験であった。

冒頭にあげた陳舜臣『神戸ものがたり』で作家が一時間で案内する神戸として紹介する場所は、諏訪山公園の金星台である。

金星台に立とう。――
真下が、神戸の中心部である。十二階の県庁の新庁舎が、まるで視野を遮るように建ち、その西がわにポートタワーが、脇仏のようにつっ立っている。それを中心に、あかるい町が海にむかって、ひろがっているのだ。
(神戸ものがたり「金星台から」)

この本は何度か改訂されているが、上のエッセイが最初に書かれたのは今から半世紀以上前のことだ。
現在、ポートタワーは相変わらず「脇仏のように」かくれてはいるが、視界を遮るものとして描かれた真新しい兵庫県庁舎は築五十年以上が過ぎ老朽化もささやかれ、周囲に比べるとむしろ背が低い建物になった。作家がここに立って眺めた神戸の海に向かっての町の広がりは、今では想像してみる他はない。

金星台から町をみおろし、頭の中で目の前の高層建築をひとつひとつ、ゆっくりと引き抜いていく。暑苦しい日差しの中で私はそんな想像をしていた。そして半世紀以上前にここに立った作家の目になって、神戸の町の、海に向かっての広がりを頭に描く。私は楽天家ではないから、町の風景に関して現在を無条件に肯定する気持ちにはなかなかなれない。しかし同時に自分の中にある「いたずらに現在を否定して過去に拘泥してしまう気持ち」にもどこかで見切りをつけないと、前に進めないのではないかとも思う。数十年前の神戸の町並み、写真を見るたびに「ええなあ…」なんてため息をついていても、それは過去の話なのだ。

時代は流れるのである。いたずらにむかしの夢を追うこともあるまい。
(同書「南北の道」)

一度頭の中で引き抜いたビルをもう一度、ゆっくりと風景の中に戻していく。
そして自分に強く言い聞かせる。今は今なのだ、と。
それで納得出来りゃ苦労はせえへんから、今日も「むかしの夢」を追って懲りずにホルモン串をつまんでいるんやけれど。