『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』

『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』は2017年5月から2019年4月まで本ブログ管理者である平民金子が執筆し神戸市広報課サイトにて連載されたコンテンツです。現在神戸市広報課サイトに本コンテンツは掲載されておりませんので、このたび神戸市さんのご好意により本ブログへの転載許可を頂きました。記事の著作権は神戸市にありますが、書かれた内容についてはすべて執筆者にお問い合わせ下さい。本コンテンツに大幅に加筆をした『ごろごろ、神戸。』が株式会社ぴあより出版されています。そちらもよろしくお願いします。

第31回 商店街や市場あれこれ(前編)

神戸の西っかわに塩屋という海と山に挟まれた小さな町があって、先月そこで行われた「しおさい」というお祭りのトークイベントに呼んでいただいた。テーマは「商店街や市場あれこれ」。同席した森本アリさんは築100年を超える洋館旧グッゲンハイム邸の管理人としてだけでなく、生まれ育った地元塩屋の町や商店街に深く関わって様々な活動をしている方で、三宗匠さんは私が引っ越してくるきっかけとなった稲荷市場でイベントスペースsalon i'maを作り、町の再開発で移転を繰り返しながらも長年地域に関わり続けてこられた方。そんなお二人は私にとっては神戸の大先輩であると同時に、まったく違う立場の人間でもある。それは、いま二人を紹介する際にどちらにも「かかわり」という言葉を使ったが、私は昔から人との「かかわり」を可能な限り避けて生きることに苦心してきた人間だからだ。商店街や市場に対してもあくまでも客としての身分を忘れずつかず離れずの距離で買い物をするだけ、会話は当たりさわりのないところまで。町や人にそれなりの愛着は持ちつつも結局は「イヤになったら引っ越せばいいや」程度にしか考えておらず、神戸もまた東京、メキシコ、台湾、たくさんある場所のひとつに過ぎない。そんな距離感で生きる私は二人に対して何の話をすればいいんだろう。当日になっても悩んだまま、海が目の前に広がる会場までの道を歩いていた。

しょうてんがい、という言葉の響き、てんがい、天蓋、てんがいこどく。
多和田葉子『百年の散歩』)

夏ごろだろうか。兵庫区の路地裏を子供を連れてぶらぶらと探検して、そこで出会ったおばあさんとしゃべっていた時に、(私は古い個人商店や市場を訪ね歩くのが好きなので)「このあたりでどこかにおすすめの肉屋とか魚屋ないですかね?」と聞いたところ、彼女は開口一番私の下町趣味などぶった斬るように、「そら兄ちゃん、今やったらイオンよ。あそこ行ったらなんでも売ってるし何食べてもサイコーに美味しいで!」とその場所の近くにオープンしたばかりのイオンモール神戸南店を教えてくれた。すぐにうしろから夫であるおじいさんも出てきて「兄ちゃんまだ行ってへんのか!?せやったら行っとき。あそこはエエもん揃っとるよ!」とさらにおすすめされて、その時に私は、外野の人間が勝手に抱いてやって来る市場(いちば)愛や下町趣味を軽く飛び越えたところで地元の人がたくましく生きている姿を見せつけられた気がした。最近神戸にやってきた自分が古い町並みや昔ながらの商店街や市場にこだわっているのに対し、何十年もこの町に暮らしてきた人が、失われた物、失われつつある物には未練も残さずさっさと再開発や大型スーパーを受け入れる。五時になれば店のシャッターが降りてあたりが薄暗くなってしまうような道の狭い場所よりも駐車場がたくさんあって深夜まで煌々と町を照らしてくれる場所の方がよっぽどうれしい。再開発される前にこのあたりにあった古い中央卸売市場の幻を追ってあたりを徘徊していた私は、頭をペシッと叩かれた気がした。

でかいスーパーが出来て個人商店がごっそりなくなって、それって町全体にしてみたら絶対に不幸だと思う、みたいな事を、私はつい簡単に口に出してしまいそうになるが、それは路地裏で自信満々でイオンをおすすめしてくれたおばあさんに比べ、なんだかとても言葉が薄っぺらいように思えたのだ。私は口では大型スーパーやショッピングモールを否定しながらしょっちゅうハーバーランドのumieに遊びに行っているし、古い町並み残すべしと再開発に否定的な考えを持ちながらも波止場を埋め立てたメリケンパークの、それも最近出来た「BE KOBE」なるよくわからないモニュメントをこよなく愛している。更地になってマンションが建つのを待つばかりのかつての市場の跡地や、大型スーパーに客足を奪われてシャッターの降りた個人商店が並ぶ通りに立ち、多様性を持った神戸の町をどこにでもあるような見た目にしてどうするんだなんて嘆きながら、自分はちゃっかりと再開発された便利な町の恩恵を受けていないか。巨大なスーパーやショッピングモールと商店街や市場を対比させ、マイクの前でにわか知識で何かをしゃべろうとしている私は、フードコートのキッズスペースでせっせと子供にご飯を食べさせているところにさりげなくやってきて、優しく笑顔で水と子供用取り皿をわざわざ運んで来てくれた、あの若い店員に石を投げるような事はしていないだろうか。それはそれ、これはこれ、という風に切り分けるにはあまりにも私はきらびやかなショッピングモールにも古びた市場にも愛着を持っていた。そしておそらく、両者は両立し得ない関係なのだと思う。開演時間のぎりぎりになるまでそんな事を考えていた。