『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』

『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』は2017年5月から2019年4月まで本ブログ管理者である平民金子が執筆し神戸市広報課サイトにて連載されたコンテンツです。現在神戸市広報課サイトに本コンテンツは掲載されておりませんので、このたび神戸市さんのご好意により本ブログへの転載許可を頂きました。記事の著作権は神戸市にありますが、書かれた内容についてはすべて執筆者にお問い合わせ下さい。本コンテンツに大幅に加筆をした『ごろごろ、神戸。』が株式会社ぴあより出版されています。そちらもよろしくお願いします。

第41回 いかなごとか、ひなまつりのこと

先月の26日はいかなごのシンコ漁解禁日だったので、その日はきっと商店街がにぎやかだろう、取材に行って記事の題材にしよう、そんな事を決意してカレンダーに書き込んでいたのだけれど、赤字で大きく「いかなご」と書いた事だけですっかり満足してしまい、当日は取材のことなど忘れていた。何日かたってから新聞を読んだのか、テレビでやっていたのか、ようやくいかなごの事を思い出したけれど、時間は巻き戻せない。気にしても仕方がないのでまあいいや、大丈夫大丈夫、と自分を励まして、さてその日は何をしていたっけと写真を見返すと、朝から揚げそばに絡める野菜を炒めていた。私は、揚げそばが好きなのだ。

好きだと書いたが、大好きだと書き直したほうがいいかもしれない。揚げそばは今まではスーパーで買っていたのだが、最近ためしに買ってみて、これは非常に美味しいぞと感心したのはハートフルみなとがわ2階のマルヤス食品のものだ。これは店頭でも売られている中華麺をお店の中で揚げ、1袋にだいたい2人ぶんの量が入って200円。割ってそのままあげれば子供のおやつにもなる。袋で買った時の見た目もなんだかシンプルでいいじゃないか。

シンコ漁解禁の日の自分の行動を追っていくと、朝に揚げそばを食べた後は、昼は元町の日精でカレーそばとおでんを食べている。この店は『いっとかなあかん神戸』という本の中で知った。元町から歩いて数分の場所なのに値段が非常に安いから、ランチタイムは行った事がないからわからないけれど、たぶん混んでいるのではないか。私は子連れで歩く事が多いので店が忙しい時間帯に飲食店に入る事はまずない。いつも15時~16時くらいの中途半端な時間に行くと広い店内はじゅうぶんにすいていて、赤ちゃん連れでもまったく気兼ねなく過ごせる。着席すると、特に食べたい気分でなくともおでん(300円)を注文する。「おでんください」と言うだけで、具を選ばなくてもこうやってセットで出てくるのだ。カレーそばとおでんを一緒に食べる人間はあまりいないだろう。私だって、なんでこんな注文したんだろうとしばらく考えてしまった。

3月3日、商店街に用事があったので、ついでにいかなごはどうなったのかと魚屋さんの様子を見に出かけた。いかなごというのは不思議なものだ。「いかなごって知ってる?」と聞かれて「知らない」と答える兵庫県民はまずいない。しかしその後で「くぎ煮は好き?」と質問を続けると、多くの人は「……まあ、嫌いではないけど……」のように答えをにごす。とにかく鮮魚のあら井さんの前には大行列が出来ていて、八百屋では「いかなご用」と書かれた生姜が売られていて、100円ショップではいかなご用と書かれたタッパーが売られていて、郵便局にはいかなごを送れるレターパックプラスのチラシが貼られている。こちらに引っ越して来た時は衝撃を受けた、町がいかなご色に染まるこの風景も今年で4度目だ。

日商店街に来た理由は、マルシン市場のかね竹さんでちらし寿司を買うため。私は揚げそばと同じくらい、ひなまつりが好きなのである。どちらかと言えばいかなごよりもこの日を待っていたと言ってよい。商店街や市場が良いのは、それぞれの店が独自のちらし寿司を作ってくれていることで、今年はかね竹さんに行くと決めていた。子供用にひなちらしと、自分用に日替わり巻き寿司を買う。といってもちらし寿司は幼児の好む味ではないので、結局私が全部食べるのだけれど。来年はどこで買おうかな(去年は神戸駅から有馬道をのぼった先の、平野にある鮮魚店「鯛屋」さんで特製まつりずしを買っていた)。

それはそれとして、揚げそばは良いものだ。皿に乗せるとそれだけで足し引きできない完璧な美である。「私が作った盆栽です。500万円」と台所でひとり、口に出してみる。

作り方はそれほど工夫する必要もない。冷蔵庫等で余っている野菜を適当な大きさに切って、それを炒めてあんかけにするだけ。今回はトマトも入れて、早めに使いたかったたまごを溶き入れた。

飲食店が客に出す料理にはある程度の正解(ルール)があるけれど、家庭で作る料理に正解はない。好きなものや余っているものを適当に盛っておけばよいのである。季節のうつろいが、無条件で楽しかったのはいつまでだったろう。すっかり日が長くなり狭い路地に置かれた花壇がにぎやかに色づきはじめ、海に出れば波打ち際には二週間前まではほとんどいなかった人が集まっている。今がちょうど啓蟄と呼ばれる時期なのだ。ぽかぽかと過ごしやすい陽気の中を歩きながら、あたたかくなってくれてうれしいんだけれど、時がたつのがさみしいような、せつないような、そんな気持ちが芽吹いている。ともあれ、料理の出来上がりだ。