『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』

『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』は2017年5月から2019年4月まで本ブログ管理者である平民金子が執筆し神戸市広報課サイトにて連載されたコンテンツです。現在神戸市広報課サイトに本コンテンツは掲載されておりませんので、このたび神戸市さんのご好意により本ブログへの転載許可を頂きました。記事の著作権は神戸市にありますが、書かれた内容についてはすべて執筆者にお問い合わせ下さい。本コンテンツに大幅に加筆をした『ごろごろ、神戸。』が株式会社ぴあより出版されています。そちらもよろしくお願いします。

第2回 生活の柄

「ガサキングだよー、ガサキングだよー」と言って、両手をひろげて爪を立てるように指を曲げ、すべり台の上から先日見たばかりの怪獣の真似をする。滑走面の下でしゃがみ込んで大げさにおびえると、子供が上からすべってきて体ごとぶつかり、わたしが地面に倒されるまでがひと続きの流れとなって、それが何度も何度も繰り返される。

ガサキング(正式名:ガサキングα)とは尼崎の三和市場で、シャッターを降ろす店が増えた市場に気合いを入れるために(?)地底深くから目覚めた怪獣だ。以前から一度実物を見てみたいと願っていたところ、先日「ガサキング市場」というイベントがあってご本人(ご本獣)が来られるというではないか。せっかくだからと子供も連れていったら、初めて見るナマの怪獣は相当な衝撃を与えたのか、私以上にとりこになってしまった。

現場ではおびえた様子でずっと怪獣から目を背けていたものの、それでも帰り道では肩車する私の首の上で「ガー! ガー!」と雄叫びを始め、真似だけではなく自分のことを「ガサキング」だと言い始めた。これはウルトラマンが好きな子供がウルトラマンになりきるようなものだから別に珍しいことではないが、生まれて初めてなりきるヒーローが尼崎のガサキングであるというのはなかなか渋い選択だ。

ただその日以来、主語は「ぼく」から「ガサキング」になったものの、言う事は別に普段と変わらない。
ガサキング、ネギきらい。ガサキング、風呂入らない。ガサキング、肉まん食べたい。というように。

肉まん。食べ物に対する好き嫌いのはげしい子供が唯一完食出来るのが今のところ肉まん(豚まん)で、以前551蓬莱を大丸百貨店で食べよう、なんて事を書いたけれど、さすがに百貨店へは毎日行けるものではない。そこで先月、どこにいても買えるコンビニの肉まんはどうだろうと試しに与えてみたところ「551ちゃうやんけ」と不満を言うこともなく、美味しそうに食べている。

それ以来わたしはこれまでの人生でもっともコンビニのレジ前ガラスケースを注視して町を歩くようになった。その結果、今回初めてわかったのだが、コンビニの肉まんというのは多くの店が4月いっぱいで販売をやめてしまうのである。おいおい。5月に入ってからは販売店舗がひとつ消え、ひとつの消えして、とうとう今は近所のどこからも肉まんは姿を消してしまった。

「いつまでもあると思うな親と肉まん」
そんな呪文を唱えながら、私たちは今日も東山商店街をさまう。
これからいったいガサキングに何を食べさせたらええんや……と食材を探しながら。

とはいえ、最初は殊勝な気持ちで子供の食べ物を探していたが、やがてその辺はどうでもよくなり、取材班の公用車(ベビーカー)は自然とタケノコ売り場に吸い寄せられる。
「うわあ。おいしそうなタケノコやなあ。これなんぼですの?」と店員さんに話しかけると、
「そっちはタケノコと違って”ハチク”よ、兄さん」
と横にいたおばあさんに訂正された。
それを受けて「これは朝採れたところやからな。アクがないからヌカは入れんでいいから。湯がくのは20分くらい」と店員さんが会話を引き継ぐ。

「こう、包丁を真ん中に入れてね、皮をむいて。そのまま茹でたらええねん。すぐ茹でるんやったら今もう皮むいとこか?」「いや、家でやりますわ」「そしたら兄さん、この大きいのにしとき」と、客なのか何なのかよくわからないおばあさんのアドバイスもあって、わたしはいつのまにか立派なハチクをベビーカーにぶら下げている。

ちなみに、ここでの立ち話によって、これまで自分が酒場や食堂などで「タケノコ」として認識していたものは孟宗竹であること。同じく竹の種類として淡竹(はちく)というものがあること。時期としては孟宗竹の終わるころにハチクがあらわれ、どちらも「竹の子」であることには変わりないのだが、一般的に料理でよく出される「タケノコ」とは孟宗竹の事を指すのだということ、そんな数々の知識を得た。子供の食べ物のことなどすっかり忘れ、「さすがイチバだわ!」と私の中のリトル小林カツ代も大満足である。去り際に
「兄さん料理は自分でやるの?」と店員さんが言うので
「うん、自分でやりますよ。」と答えていると
「台所のことはおもしろいからねえ」とおばあさんが話を受ける。

アーケードから通りに出ると雨がぽつりぽつりと降ってきて、公園に立ち寄ると遊具には雨のまだらな模様が出来ている。こんな天気の中で遊んでいる人間は誰もいない。コンクリートの遊具に少しづつ雨があたり、しみ込んで、模様を作っていく様子を眺めがら、傘は持っていないけれど別にいいかな、と思う。顔を天に向けて口を開け、雨粒がひとつ口に入るごとに、大げさに「おいしいなあ!」と言ってみると、子供もおもしろがって真似をする。

誰もいない公園に「おいしいなあ」「おいしいねえ」というわたしたちの声が響いている。
濡れた滑り台の上から今日もまた「ガサキングだよー」と小さな怪獣が現れて、「一回だけやで」とわたしは滑走面の下にしゃがんで、大げさにおびえてみせた。

道路脇に咲いているのは、キュウリグサタチイヌノフグリ、コメツブツメクサ。
道ばたの、あまり振り返られることのないような小さな花を観察して、名前をおぼえていくのはおもしろい。花に興味を持つと得やで。だって道に咲いている花を見るのはタダやからね。マメグンバイナズナノゲシヒメジョオンヒナキキョウソウユウゲショウユウゲショウっていうのは名前が綺麗やけど、さすがに雨に濡れたら花もしぼむわな。
本物のガサキングも花が好きやからね。ほら、この前会った時も花屋さんで真面目に見てたやろ。

降り始めたばかりの五月の雨は心地良い。
公園を出て、シャッターが降りたままの店の軒先に出来たツバメの巣の横を、緊張して通る。
立ち止まったり、じろじろ見たら親鳥に悪い気がするから、「わたしたちはあなたがたに危害をくわえるものではありません。のぞいたりもしません。そもそもあなたたちに気付いてもいませんよ……」というようなそぶりで巣を大きく迂回してそっと、息をころして歩き、それでも気になる心には逆らえず。すれ違いぎわの一瞬だけチラっと、目のはしにツバメ達の元気そうな姿を焼きつけて、そこからわきあがってくるちょっとした嬉しさで、雨の舗道を駆けた。