『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』

『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』は2017年5月から2019年4月まで本ブログ管理者である平民金子が執筆し神戸市広報課サイトにて連載されたコンテンツです。現在神戸市広報課サイトに本コンテンツは掲載されておりませんので、このたび神戸市さんのご好意により本ブログへの転載許可を頂きました。記事の著作権は神戸市にありますが、書かれた内容についてはすべて執筆者にお問い合わせ下さい。本コンテンツに大幅に加筆をした『ごろごろ、神戸。』が株式会社ぴあより出版されています。そちらもよろしくお願いします。

第3回 なだらかな起伏を駆け上がる

男はつらいよシリーズの最終作である「寅次郎紅の花」を見ていると、いささか唐突とも思える流れで1995年震災の年の長田区菅原市場周辺の風景が出て来る。実際は映画冒頭で、神戸でボランティア活動をしている寅さんの姿が描かれ、ラストに再びその時お世話になった人達の所に立ち寄るという話の流れがあるので、唐突というわけでもないのだが、物語の主な舞台となる奄美群島加計呂麻島(かけろまじま)ののどかな風景や登場人物達の恋愛模様の中で、やはり最後に差し挟まれる長田区のパートだけがいきなり、フィクションからノンフィクションの世界に引き戻されるような、圧倒的な現実感で寝ぼけた頭を殴られるような「唐突さ」を感じてしまうのだ。

19歳になったばかりの私は震災が起こったその日の早朝、ニュースの速報を見て何も考えずに実家のあった東大阪市からママチャリをこいで神戸に向かった。何時間かかったか覚えていないが、武庫川を越えたあたりから国道沿いの舗装道路の陥没や起伏が激しくなって自転車がこぎにくくなり、「何が起こっているんだ?」という思いの中で、家を出された人々が東に向かって歩いて行くのを見ていた。ある場所では倒れたトラックに積まれていたジュースが路上に散乱していた。「兄ちゃん、なくなる前に盗っとけよ!」とジュースを脇に抱えたおじさんが私に向かって叫び、大きく笑った事をいまだに覚えている。目の前の現実に飲み込まれるように、自転車を押して西へと歩いた。

私は結局その年の3月に上海に行くまで、長田区役所近くの公園で寝泊まりしボランティアをしていた。その中で「菅原市場がえらいことになってるぞ」という話を当時の仲間から聞き、用もないのに現地の様子を見に出かけたりもした。避難所に行くと、毎日充分に食事を摂っていた私に「こういうのは若いあんたらが食べなアカンのよ」と言っておばあさんが自分に配給されたパンやおにぎりを与えてくれた。私はおばあさんから貰ったパンを食べ、倒壊した家屋の焼けたにおいが残る市場の中を、感情が麻痺したようにただ歩き、立ち止まり、また歩いた。寅さんが長田区を訪ねるシーンの冒頭に、瓶に入れられた一輪の花とマジックでメッセージの書かれた木札がうつされる。そのような手作りの慰霊の形は町なかでは珍しいものではなかった。

「寅次郎紅の花」には、胸が痛くなる明るさと、希望の光が射す場所としての神戸市長田区が描かれている。震災があった悲惨な町としての長田ではない。菅原市場の跡地にはもうプレハブの簡易マーケットが出来ていて、登場人物たちは復興に向けて歩みだそうとしている。その表情は明るく、ここから前を向いて歩いて行くしかないと、彼ら彼女らが表情で訴えかけているようだ。やって来た寅さんは「苦労したんだなあ。本当にみなさんごくろうさまでした」と町全体をねぎらうように優しく声をかける。それは30年近く日本中を旅してきた車寅次郎の、最後のセリフとなった。

震災から22年がたった今年1月の神戸新聞に『寅さんロケ「菅原市場」閉店 震災復興の象徴』という記事が掲載されていた。「」付きで菅原市場と書かれているのは現在の味彩館Sugaharaの事で、記事では閉店と書かれているが現地に行くと「しばらくの間ご迷惑をおかけしますが、店内改装オープンの際にはご利用の程、よろしくお願い致します。」という貼り紙が今もされてある。それを見る限り再オープンへの意思は感じられるものの、いまだ具体的な日程や展望が書かれていないという事は当然、意思だけではどうにもならない現実の厳しさがあるのだと思う。寅さんが最後に歩いたこの場所は、これからどんな風景になっていくのだろうか。

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神戸に引っ越してからはよく子供といっしょに長田区を歩いている。

高速長田の駅を降りて長田神社方面へ歩き中央市場で買い物をする日もあれば、阪神高速道路方面へ歩いて味彩館へ寄り、そのまま新長田方面まで歩く日もある。ベビーカーをごろごろと押して、御蔵通のユキヤダイニングで牛肉たたきを買い、菅原市場の跡地に建てられた公園でひと休みする。そこで子供をおろすと、ひとしきり遊具で遊んだ後に、芝生のなだらかな起伏を駆け上がって行く。まだ走り方が不器用な子供はこの程度の起伏でもつまづいたり転んだりして、しかしその事自体が面白いのか、顔から転んでもまた立ち上がっては、笑い声を上げて小さな丘を駆け上がる。

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私がいま、子供と遊んでいるこの場所にはかつて、人々が通った市場のにぎわいがあった。
そして震災があってあまりに多くのものが失われ、その一帯を言葉なく眺め歩く19歳の私がいた。

ふと、目の前で遊ぶ子供の視点には、そのような過去の風景がまったくないんだな、という当たり前の事実に気付かされる。過去がどうであろうが、未来がどうなっていこうが、そんな事は関係ないとばかりに子供はただ目の前の世界を肯定し、全力で芝生を駆け上がって行く。転んでは起き上がり、なだらかな起伏を駆け上がって行く。

過去のない風景に子供は立っている。
それは私がいくら追いかけても、追いつけそうにない場所だった。