『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』

『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』は2017年5月から2019年4月まで本ブログ管理者である平民金子が執筆し神戸市広報課サイトにて連載されたコンテンツです。現在神戸市広報課サイトに本コンテンツは掲載されておりませんので、このたび神戸市さんのご好意により本ブログへの転載許可を頂きました。記事の著作権は神戸市にありますが、書かれた内容についてはすべて執筆者にお問い合わせ下さい。本コンテンツに大幅に加筆をした『ごろごろ、神戸。』が株式会社ぴあより出版されています。そちらもよろしくお願いします。

第16回 ふれあい荘のナイトくん

小津安二郎監督『東京暮色』は物語に救いがなさすぎるのでもう二度と見たくない、そう思いながらもつい繰り返し見てしまう作品で、それにしても恋人にだまされ深夜喫茶で補導され身も心もぼろぼろで家に帰って来た明子に対し父の周吉が「そんなやつはお父さんの子じゃないぞ」とまで厳しく叱ってしまったのがつらい。もちろん「そんなやつはお父さんの子じゃないぞ」などと周吉は断じて思っていない。母が家を出てからは父親ひとりで誰よりも明子を可愛がって来た、そんな自負があるからこそ出た愛情の裏返しだとわかるけれど、傷ついた明子にはその愛情の部分は通じなくて、あくまでも「そんなやつはお父さんの子じゃないぞ」という言葉の表層だけが届き、心をえぐってしまう。やがて二階の寝室で姉の孝子と肩を並べて座り「あたし、余計な子ね」「あたし、生まれて来ない方が良かった」と吐き出す言葉は先ほどの周吉の叱責と反響し合って、劇中いつまでも明子の中で負の呪文として機能してしまう。二階の別の部屋では周吉が、眠れずにうつろな目で煙草の煙を吐き出している。同じ屋根の下にいるのに家族3人がそれぞれにわかり合えない孤独を抱え、重苦しい沈黙が続く中で、聞こえるのはどこか遠くで鳴いている犬の声だけだ。

と、思いきや、その鳴き声は突然画面をはみ出す勢いで大きくなる。
今ではイヤホンを付けている意味がないほどの大音量となり「ウオッ! ウオッ!」「ウオッ! ウオッ!」とそれは聞き慣れた吠え声となって耳をつんざき、振り向くと声の主は、アシカのナイト君(7歳)であった。

ナイト君がこのたび、約7年暮らした須磨海浜水族園を離れ、生まれ故郷である愛知県の南知多ビーチランドに引っ越しする事になった。正直なところアシカについて、特別な興味や思い入れがあるわけではないけれど、彼がいるのはスマスイ本館3階にある「水辺のふれあい遊園」で、私は最近まで3年ほどこの場所に入り浸っていたから、言ってみれば同じアパートに暮らす2軒となりの住人(ゴミ出しの日に顔を合わせて挨拶)くらいの同窓感があった。「水辺のふれあい遊園」をひとつのアパートだとするなら(以降「ふれあい荘」と呼ぶ)、ナイト君は間違いなくその存在感の大きさ、というよりも声の大きさから場を支配する中心、管理人的立場であったと言ってよい。どこにいても聞こえる、海にいても聞こえる、いや、俺は駅から聞こえたぞ、とまで言われるほどのボリュームで小さい子供が前を通るたびに「ウオッ! ウオッ!」「ウオッ! ウオッ!」と派手に吠えていた彼はもしかすると管理人というよりは、周囲をかえりみずひときわ大音量で楽器を鳴らすバンドマンの若者、という役割だったかもしれない。

スマスイは夏と冬に夜間営業をしていて、平日の夜に開催している場合はふれあい荘周辺はけっこうすいていて、誰もいないこの場所で海側のベンチに座り、私は何本かの映画を見た。『東京暮色』を見ていたのもこの場所で、冒頭のような不意の中断があった事が印象に残っている。ナイト君がいなくなった後、スマスイ大名物であるナイトくんパンがいったいどうなるのかも気になるが、それ以上に心配なのはアシカ寿司のゆくえである。アシカ寿司とは何かと言うと、スマスイに行く前に、駅前すぐの場所に鮮魚店がある須磨駅塩屋駅で降りて寿司を買いふれあい荘海側の無駄に多いベンチのひとつに腰を掛け、遠目にナイトくんを意識しながら食べる寿司の事である。それをアシカ寿司と呼んでい るのは世界でも私しかいないので、ナイトくんパンとは違い、アシカ寿司がなくなっても困る人はいないだろう。私はやはり、ナイト君そのものに愛着があったというよりは、自分もひとりの住人と言える程度には長く居たこのふれあい荘で、ひときわ大きな存在感を示していた彼がいなくなる事に、2軒となりの住人が引っ越して行く程度の、いやそれ以上のさびしさを感じているのだ。

寿司といえば昨年『ごろごろ、神戸2』でとりあげた、神戸市民百数十万人にとっての希望の光、全国5542人のナリエ鑑賞士が選んだ日本新三大ナリエのひとつ「スシナリエ」が今年は点灯していない。光を灯していた寿司勝さんがなんと閉店してしまったからである。寒くなればいつでもある、という感じでそれほどのありがたみを感じる事もなく、つまりはそれだけ生活の一部として馴染んでいたスシナリエが、まさかなくなると予想した人はいないのではないだろうか。日本新三大なくなっては困る場所ことミナイチ、とみちゃん、スシナリエ。そしてつい先頃、太陽系で一番インスタグラムに映えるメロンソーダが撮影できる場所として知られるポートタワーの回転喫茶室まで閉店してしまった。
スシナリエのないクリスマス。ナイト君のいないスマスイ。回転喫茶室のないポートタワー。あと数年もすれば、どれもこれもあった事すら知らない人のほうが多くなるだろう。寿司屋さんの電飾とアシカを比べられても困るだろうが、どちらも謎の存在感の大きさという意味では同じである。

知っているものがなくなっていく。その別れの感覚は、年老いた人には彼ら彼女らの、若い世代には彼ら彼女らの、どの世代にもそれぞれのものがあって、生きるという事はつまり、そのような別れの感覚と並走する事なのかもしれない。人生には別れが多い、別れがつきものよ、そんな意味の漢詩井伏鱒二が「サヨナラだけが人生だ」と竹を割ったように訳したのは案外そういう事なのかもしれない、今なら理解できるゾ、なんて気分の最近だ。しかし、こんな書き方ではナイトくんまでがいなくなったようである。南知多でのびのびがんばってください。私はもう少し、神戸にいるよ。