『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』

『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』は2017年5月から2019年4月まで本ブログ管理者である平民金子が執筆し神戸市広報課サイトにて連載されたコンテンツです。現在神戸市広報課サイトに本コンテンツは掲載されておりませんので、このたび神戸市さんのご好意により本ブログへの転載許可を頂きました。記事の著作権は神戸市にありますが、書かれた内容についてはすべて執筆者にお問い合わせ下さい。本コンテンツに大幅に加筆をした『ごろごろ、神戸。』が株式会社ぴあより出版されています。そちらもよろしくお願いします。

第45回 おすしはリバーサイド

花見客は皆、楽しそうである。私は毎年彼らの横を歩きながら「なぜおれを呼ばないのか」「なぜおれを呼ばないのか」「なぜおれを呼ばないのか」と四十年の間、問い続けてきた。そのせいか4月には桜ではなくルサンチマンが満開となり、結局花見に一度も呼ばれないままこの年になってしまった。

しかし敵を攻略するためにはまず知る事からだと思い各所の花見現場を仔細に観察してみると、そこには日本人の他にも様々な国の人たちが思い思いに輪になって桜の木の下で談笑している光景があって、これはなかなかおもしろいぞと思った。彼らは束の間やって来た観光客かも知れないし、勉強や労働のために滞在している人たちかもしれない。

私はもう毎年の花見風景を見ても感覚が麻痺して何とも思わなくなっているが、もし自分が外国からやって来た異文化の人間なら、特定の季節のほんの短い期間、特定の花咲く木の下に集って酒を飲むその国の習慣を目にすれば、絶対にやってみたいと思うだろう。花見というのは、実は世界的に見ても相当に珍しい風習なのではないか。そうなると、なんだかやらねば損だという気になってきたのだ。

阪神電車大石駅を降りると目の前に都賀川が見えて、ここは桜の時期は駅から山側に行けば行くほど花見客が増えていく。自分で弁当を作って来てもよかったが、私は商店街(市場)原理主義者だから、地元商店街で食べ物を調達したい。川沿いをしばらく歩きダイエーのあたりで左に折れるとみんな大好き畑原市場に辿りつくので、『寿し豊』さんでこの日のために折り詰めを注文するのだ。

抱っこひもで寝起きをコントロール出来ていた少し前までは王子動物園で子供を遊ばせ、帰り道で(抱っこして)寝かせ、それからこちらで寿司を食べながらビールを飲む。それが何よりの楽しみだった。しかし最近はコントロールが効かなくなってなかなか店には入れない。どんなに暴れん坊の赤ちゃんを連れていても気兼ねなく食事が出来るフードコートとは違い、小さな個人店に子連れで入るのは気がひけてしまうのだ。しかしよくよく考えればお寿司は折り詰めにしてもらって外で食べればいい。外で食べればフードコート以上に自由だ。なぜ今までこんな簡単な事に思い至らなかったのだろう。

「わさびはどうします?(お子さんいるから抜きますか?)」
「すいません、ちょっと多めにつけてください」

解説しよう。なぜここでわさびを多めにしてもらうかというと、子供が横から手を出そうとした時に「あかんあかん、これカラ~~~いカラ~~いやつやから(ここで顔を大げさに曲げる)、食べたら火ィふくで(「ブオー」と火を吹くしぐさ)」とネタをめくってわさびの緑を見せ、子供の侵略から寿司をまもり独り占めにするためだ。「この宝石箱はおれだけのもの」という大人の決意表明である。

おすしはリバーサイド。川沿いリバーサイド。
食事もリバーサイド。おお、リバーサイド。
私の昼ごはんは『寿し豊』の上にぎり。子供の昼ごはんはすぐ近くの『トモエ』でおいしいおいしい明石焼きだ。何も付けずに出汁(別売り50円)だけで食べるのもよいが、ソースと青のりを付けてそこに出汁をぶっかけると、明石焼きなのかたこ焼きなのかよくわからない感じの、ハイブリッド神戸たこ焼き(明石焼き)が味わえる。

おすしはリバーサイド。神戸たこ焼きもリバーサイド。
そんな感じでくつろいでいると、風に舞った桜の花びらが1枚、ひらひらと落ちてきて出汁に浮かぶ。
ソースのとけた出汁の大海原に、一艘(いっそう)の花筏。これを神戸の春と言わずして何を神戸の春と言おう。私はこのとき人生ではじめて「花見ってぇのもなかなかいいもんだ」なんて思ったのだ。

食事を終えて、裸足になって遊んでいた子供の足に、オオイヌノフグリの花が乗っかっている。
二十歳を過ぎた頃、就職も進学もせず、何の目標もなくぼんやりと過ごしていた自分の周りからはどんどん人が離れて行った。その頃付き合ってた彼女は西宮だったか宝塚だったかのずいぶん山奥のアパートに住んでいて、早朝から夜遅くまで仕事で家にいなかった。部屋を出たすぐ裏手には菜の花が咲きほこるきれいな川が流れていて、私は古本屋で買った大きな植物図鑑を持ち、誰ともしゃべらずに日中ずっと川沿いを歩いて野草の観察をしていた。その時にずいぶんと花の名前を覚えたのだ。彼女といる時間よりも山野草を見ている時間の方がずっと長かった。だから春に咲くこんな小さな花を見ると、その時の事を思い出す。あの野草達、元気にしてっかなあ……。