『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』

『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』は2017年5月から2019年4月まで本ブログ管理者である平民金子が執筆し神戸市広報課サイトにて連載されたコンテンツです。現在神戸市広報課サイトに本コンテンツは掲載されておりませんので、このたび神戸市さんのご好意により本ブログへの転載許可を頂きました。記事の著作権は神戸市にありますが、書かれた内容についてはすべて執筆者にお問い合わせ下さい。本コンテンツに大幅に加筆をした『ごろごろ、神戸。』が株式会社ぴあより出版されています。そちらもよろしくお願いします。

第17回 神戸鉄火巡礼

私には、この世に生まれて来た瞬間の記憶がある。
産声を上げる事も忘れ、外界の眩しさに耐え、
この問題を解決しないと自分は先へ進めないぞと、
出てきたばかりの体をタオルで拭かれながら黙考していたのだ。
それは「ビールに一番合うつまみは何か」という問題である。

あれから四十数年。結局私はどこへも行けないまま、ある日新開地にある老舗酒場『丸萬』のカウンターで大将の包丁さばきをぼんやり眺めていた時に突然体を電流が駆け抜け、答えがわかってしまったのだ。
ビールに一番合うつまみ。それは鉄火巻である。

「大将、てっ鉄火巻ください!」
私は急いでそのように注文し、追加でビールもたのむ。
ここは大将の動きが見える特等席。漬け物をアテに、注いだビールをちびちび飲みながら、海苔にシャリを敷きマグロを隙間なく並べ、巻いた後包丁が音立ててサクッサクッと入る様子を見ながら、
私は知らず知らずのうちに涙を流していた。

見た目に美しく、煮込みやおでんのように冷める心配をしなくてもよい。
酒のつまみでありながらご飯でもある。
見て良し食って良し、おまけに腹まで膨れる完全食。
新生児の頃から探していた答えはこれだったのか。私はそうつぶやき、決意した。
人生は旅である。これから、鉄火巻を探す旅に出よう。

えっと、時間ないので2軒目行きますね。
丸萬を出たら、同じ新開地でもこちらは福原の路地裏にある寿司とぼっかけうどんの店『あーちゃん』の鉄火巻

今でこそ「ああ、ぼっかけね、スジ肉を甘辛く炊いたやつ」と知った風な顔で説明出来るが、神戸に住むまでは何の事だかよくわかっていなかった。こちらでは冬の間、名物の「ぼっかけ粕汁うどん」が売られていてそれにいなり寿司を合わせれば最高だけれどその話は今度でよいだろう。ストイックにビールと鉄火巻で静かな時を過ごす。使い込まれた寿司下駄は見ているだけでつまみになる逸品である。

そこのにいちゃん、3軒目行くで。
新開地から山陽電車に乗って須磨寺駅で降りる。目の前の商店街を歩くとすぐに『寿し竹』にたどり着くだろう。

『寿し竹』は現在神戸市がやっている商店街・小売市場盛り上げイベント「神戸お立寄り」の認定店となっている。町の商店街や市場を行政で盛り上げていこうなんてなかなか素晴らしいではないか。今回認定されている商品は寿し竹名物「うの花ずし」であるが、私はそこは無視して鉄火巻とビールを注文するのである。イカが混じっているが気にしないでほしい。

ここまで三店、スタンダード型(見た目の話)の鉄火巻を見てきたが、4軒目は各線板宿駅から歩いてすぐ、板宿西部市場のすし処『つるぎ』で、花のように配置された美しい鉄火巻を見てほしい。

私のように人生でひまな時間が長いと、梅や桜の花びらの枚数を一輪づつ数えながら、数十メートルの道を半日かけて歩いたりするのだが、そうすると花弁が6枚になっているやつが、ごくまれにある。4つ葉のクローバーで刷り込まれた影響だろう、そのような個体を見ると運気が上がったような気分になってしまうのだ。忙しい人はなかなか路傍の花びらを数えながら町歩きする時間はないと思うが板宿に行けばいつでも会える満開の鉄火花。酒と共に鑑賞しよう。

『つるぎ』を出たらすぐ近くの銀映通商店街の鮮魚店『こうちゃん』でも鉄火巻仕入れておく。ひと口に鉄火巻と言っても同じものはひとつもない。いちばん違うのはシャリの分量で、こちらは写真を見てもらったらわかる通り酒のつまみ系鉄火ではなくて腹がふくれる系鉄火である。誰だ、もうお腹いっぱいって言ったのは。
途中でビールを買ってぶらぶら海まで歩こう。

板宿の鉄火を須磨の海で食う。
こう書くと江戸の仇を長崎で討つような趣がある。けれどどちらも須磨区だ。18歳のころ茅ヶ崎で暮らす友人が「夏はダメだね。海がにごっていて。冬が一番きれいだよ」なんて言っていて、その時は何言ってやがんだこいつなんて思ったけれど、あれから二十数年、同じことを私も思っている。須磨の海は今がいちばん美しい。

そんな感傷にひたっている時間もなく、ここまで来たら長田へと挨拶に行こう。
地下鉄海岸線に乗って苅藻駅で降りると鉄火6軒目、
北方向に数分歩けば地元で働く方たちに愛されている寿司店『長兵衛』がある。

こちらは握り寿司とお蕎麦の昼セットがどうかしているくらい最高なのであるが、
どこまでも禁欲的に鉄火巻とビールで意地を通したい。

この店の鉄火巻は横配置である。
打ち上げ花火をどの方向から見るかという映画があったけれど、鉄火巻を縦に並べるか横に並べるかも問題だ。
横方向から見る鉄火巻と言えば私にはもうひとつ思い浮かべる店があり、場所は長田から外れるが7軒目。
神戸駅から山側に登った平野町の近く、バス停で言うと市バス7系統「楠谷町」停留所を降りてすぐの食堂『丸福』。
ここが横置きの名店である。

こちらの店は寿司、うどん、ラーメン、カレーとなんでもあって、まあ鉄火巻とビールだけで過ごす感じの店ではないのだが、それはここで紹介しているどの店にも共通する事なので、どうか気にしないでほしい。
私の記事を見て丸福を訪ねる人がいるとも思わないが営業は昼の14時くらいまでだと思うので一応注意されたい。

繰り返しになるがここで紹介しているどの店も鉄火とビール以外に素晴らしいメニューが用意されている。
私のように何かをこじらせてしまった注文ではなく、好きなものをたらふく食べて下さい。

あ、せっかく神戸駅の名前を出したのでついでに8軒目。駅から歩いて10分くらいかな。
神戸地方裁判所の裏っかわの路地にあるうどん屋「幸家」の鉄火巻もおさえておきたい。

この店も冬はとびきり美味い具だくさんの「かす汁うどん」があってそれに巻き寿司を合わせてほしいところだが、私はと言えば取り憑かれたように鉄火巻一筋である。

話は長田に戻る。せっかく苅藻まで来たのだから地下鉄海岸線に乗って、あるいはぶらぶら歩いて隣の駒ケ林まで。
新長田の本町筋商店街まで足を運び、向かい合って営業する鮮魚店『しのはら』と『魚源』を訪ねておこう。
鉄火巻ではないのでカウントはしない)

まずは『しのはら』のネギトロ巻きをつまみに公園でビールを飲む。

やはり公園でビールを飲んでいると故郷に帰ってきたような気分である。
日本中に公園はあるからそうなると日本中が故郷のようなものだ。
次に『魚源』の海鮮巻でも缶ビールを開けておこう。

写真を見て気付いた方もおられるかもしれないが、私はどこへ行くにもマイ醤油を持ち歩いている。正確に書くと保冷ボックス・醤油・箸の基本3点セットは例え冠婚葬祭の場であろうと、突発的な鮮魚店精肉店との遭遇にそなえて必ず持ち歩いているのである。

ちなみに魚源の海鮮巻は1パック150円。
300円くらいのお金で路上で海鮮巻とビールが楽しめてしまうのは長田人(ながたびと)の特権だ。

そうそう、鉄火巻とビールを組み合わせるという趣旨からは外れるのだが、せっかくこのあたりにいるのだから和田岬まで行ってみよう。ノエビアスタジアムのほど近くに、イニエスタ選手もやって来た(か来ていないかと言えば来ていない確率が高い)手打ちうどん『大八』がある。こちらはうどんとの定食で鉄火巻が出てくる。
醤油皿に梅干しを置いているが気にしないでほしい。
(ビールをたのんでいないのでこの店もカウントしない)

私は周囲に気をつかい過ぎて疲れるタイプである。
うどんと鉄火を合わせたからには蕎麦と鉄火も合わせておかないと、蕎麦に悪い気がしたので9軒目。
湊川にある食堂『江戸家』でざるそばと鉄火を食べに行こう。どなたか付き合ってくれませんか。

なぜどなたか付き合ってくれませんかかと言うと、こちらの鉄火は「ダブル(12個)」で登場するからだ。
ウイスキーにシングルとダブルがあるのと同じである。腹がふくれるのでここはビールは小瓶にしておこう。

そろそろ鉄火ばかり食べすぎて倒れてしまいそうになってきた。
10軒目、岡本の『灘寿司』で鉄火巡礼の旅をシメておきたい。
阪急電車の岡本駅かJR摂津本山駅のどちらで降りてもすぐ近く。
いっしょに食べているのはぶ厚く切られたアジの王様ことシマアジである。

蛇足だが私はこちらのお店のエビが好きだ。
別の日にはイカ・エビ・鉄火と三種の神器を揃えている。

そうだ。シマアジというと思い出すのは灘の『寿し豊』である。 2017年の12月10日。この日はよく晴れた日曜日で、王子動物園で毎年恒例の干支の引き継ぎ式があったのだ。 『ごろごろ、神戸2』でその日の様子をレポート(?)している。

記事には書いていないが行事が終わった後で寿し豊を訪ね、たのんだ上にぎりにシマアジが入っていた。
ひと口食べて「え、シマアジってこんなに美味かったっけ」と感動した事を覚えているのである。
このまま帰るのもあれなので、せっかくだから11軒目も寄っておこう。

と思ってJR摩耶駅から畑原東市場に行くと、あいにくこの日は新年のためネタが少なく鉄火巻がなかった。
だから穴子の磯辺巻きでビールを飲む。
ここまで来ると私はもう、目の前に鉄火巻がなくてもこう瞼の上下ぴったり合わせ、思い出しゃあ絵で描くように鉄火が見える、瞼の鉄火みたいな感じである。

長々と鉄火巻の写真ばかり並べて来たが、最後は冒頭に紹介した新開地の『丸萬』に戻ろう。
この店には並鉄火と上鉄火があって、何が違うのかというと部位がトロになるわけだ。
普段私は赤身しか食べないのだけれど、正月だから縁起物を注文しておこう。

私は「元祖・神戸お立寄り」と呼ばれた男である。経費でメシ食ってる奴にはぜったい負けねえ、
そんな意地とプライドで今回もまた頂戴する原稿料を遥かに超える金額を地元個人店に投入するのであった。

鉄火だけに、大赤字である。