『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』

『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』は2017年5月から2019年4月まで本ブログ管理者である平民金子が執筆し神戸市広報課サイトにて連載されたコンテンツです。現在神戸市広報課サイトに本コンテンツは掲載されておりませんので、このたび神戸市さんのご好意により本ブログへの転載許可を頂きました。記事の著作権は神戸市にありますが、書かれた内容についてはすべて執筆者にお問い合わせ下さい。本コンテンツに大幅に加筆をした『ごろごろ、神戸。』が株式会社ぴあより出版されています。そちらもよろしくお願いします。

第28回 ありがとう、神戸マラソン

11月19日、日曜日。ようやくこの時がやって来た。「感謝と友情」をテーマに、「ありがとう」をキャッチフレーズにした、神戸市民なら誰もが待ち望むイベント『神戸マラソン2017』(https://kobe-marathon.net/2017/)がついに開幕である。私たちごろごろ神戸取材班も前日から興奮気味で眠れず、つい調子にのって深夜4時までワインを飲んでいたら、あくる日は昼過ぎに目が覚めた。とりあえず腹に何か入れたいが現地の屋台で焼きそばでも食べればいいやと三宮駅からスタート地点である神戸市役所の前まで歩く。すると現地に到着しても2万人が走るというわりには誰もおらず、警備員さんに聞くとすでに全員が出発した後とのことだ。スタート地点からの取材を計画していた私の目の前に広がるのはいつもの道路で、片付けられた柵だけが唯一、大会が少し前にここで行われた事を伝える手がかりとして残っている。

失意のまま三宮駅に戻ると神戸新聞朝日新聞が号外を配っており、さらに知らない人からなぜか突然花までもらった。しょげている場合ではない、スタートの瞬間を取材する事が出来なかったのならせめて沿道でランナーの方たちを応援しようと、今度は三宮から新開地駅まで行ってそこから阪神高速道路方面に歩き、稲荷市場へと向かう。

実は昨夜、ここからすぐ近くにある松尾稲荷神社のビリケンさん(日本最古)が夢の中に出てきて、今年から稲荷市場が神戸マラソンのコースに組み込まれたのだと言う。私はマラソン応援のための公式スティックバルーンを持っていたので、かつてあった市場の入口に立ってランナーたちをじっと待ち続けた。

おかしい。いつまで待ってもランナーが来る気配がない。
ふと周りを見ると、自分とよく似た黄色いスティックバルーンを持った方がいる。
「すいません、神戸マラソンの応援に来たんですがランナーの方たちは何時頃に来られるんでしょうか?」

その日はメガネを忘れていたので視界が若干ぼやけていたのだが、近付いてみるとどうやらそれは神戸マラソン応援のスティックバルーンではない。閉じられたシャッターに無雑作に貼られた1枚の黄色い貼り紙である。
まぎらわしいなあ。なになに、「丸富 月曜日10時開店 焼豚 100g300円」。え、明日?

ケガの功名、ひょうたんから駒とはこの事だ。
丸富食品といえば第8回「市場のある風景」(https://gorogorokobe.hatenablog.com/entry/2017/06/28/000000)で、このあたりの再開発のために閉店してしまった肉屋さんとして紹介したのだが、まさか復活するとは驚いた。これだけ更地化が進んだ現在の稲荷市場周辺でこんな奇跡を目にするとは。神戸マラソンのテーマは「感謝と友情」。キャッチフレーズは「ありがとう」である。私は、昨夜ビリケンさんがお告げで言われた「神戸マラソン」とはもしかしたらこの事ではないかと思った。大会そのものには参加する事も取材する事も叶わなかったが、大げさに言うと私はこの場所で神戸マラソンの「哲学」のようなものを受け取った気がした。いま私がしなければならないのは、見逃してしまった本日の神戸マラソンのスタートの代わりに、明日この場所で号砲とともに(…号砲は鳴らないだろうが)シャッターを開ける小さなお肉屋さんの再スタートを目に焼き付けることではないだろうか。

あくる朝。昨日の反省を踏まえ私はスタート30分前に会場に到着していた。参加者は今のところ私ひとりのようだ。目の前にはもう二度と開かれる事はないと思ったシャッターが半分開いていて、ピカピカの機材に囲まれて仕込みをする店主のうしろ姿が見える。今の時代に、古くからある店が閉店するというニュースはたくさん聞くけれど、いったん閉まった店がこのように再開する事は本当に珍しく、うれしいものだ。店の前でぼんやりと立っていると早々に目が合ったので、私はここに至るまでの約1年間、さぞや色々な思いがおありであったろうと再開の理由をたずねてみたら、店主はこう言った。
「開けた理由? 毎日ひまやったから」

神戸マラソン2017。テーマは「感謝と友情」、キャッチフレーズは「ありがとう」。
その大きなテーマは、実際に道路を走る行為だけにとどまらない。私たちにはそれぞれに日々の生活の中で感謝を伝えたい相手がおり、そういった対象にきちんと「ありがとう」と伝えること。たとえ42.195キロを走れなくても、当日寝坊して沿道で応援が出来なくても、今日の今、この瞬間が私にとっての『神戸マラソン』だと言えやしないか。私は店主に「正直言って、もうお店が開かれる事はないと思っていました。また再開してくれて、本当にありがとうございます」と感謝を伝えた。店主は「ひまやったからね」とだけ言って焼豚を切る包丁を動かす。

私の戦いはこうやって無事に終わった。
家に帰り台所で焼豚の封を解くと、「ニク(肉)チャン、ニクチャン」と子供が勢いよく手をのばそうとする。
私は小さく焼豚を切って子供に与え、自分でもひと口つまみ、来年の神戸マラソンこそは早起きしようと誓った。