『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』

『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』は2017年5月から2019年4月まで本ブログ管理者である平民金子が執筆し神戸市広報課サイトにて連載されたコンテンツです。現在神戸市広報課サイトに本コンテンツは掲載されておりませんので、このたび神戸市さんのご好意により本ブログへの転載許可を頂きました。記事の著作権は神戸市にありますが、書かれた内容についてはすべて執筆者にお問い合わせ下さい。本コンテンツに大幅に加筆をした『ごろごろ、神戸。』が株式会社ぴあより出版されています。そちらもよろしくお願いします。

第27回 つかれた背中を流す日

国語辞典ほどの分厚さがある豪華な黄色い箱に入った『初期のいましろたかし』という漫画作品集が発売されたのは、私が東京の四畳半風呂なし便所共同アパートで暮らし始めて間もない2002年の夏で、当時オープンしたばかりのジュンク堂池袋本店でこの本を買った私は部屋に帰って読み始め、これまで感じた事のない衝撃を受けた。出てくる登場人物たちには何の取り柄もなく、日々たまっていくルサンチマンだけを羅針盤に、破れた畳にへばりつくようにオンボロのアパートに生きている。部屋にはおまけのようなキッチンがついていて、ある場面では主人公はごく普通にそこに小便をしていて、私はどこを切っても一切の綺麗事がなく生真面目で切実な生活感しか出てこないその描写に打ちのめされた。埃ひとつない安物のセットのような夢見心地の貧乏暮らしではない。カビと汗と煙草のにおいが部屋中に染み付いていて、電気を消して寝ていると枕元をネズミが走り回る、今の自分と同じ生活があると思った。それから先も、何らかの表現物によってあの時ほど「やられた!」という思いを突き付けられた事がない。

私がアパートで暮らし始めた頃はまだ東池袋が大規模な開発をされる前で、近所には銭湯が何軒もあり吹けば倒れてしまいそうな木造アパートだらけの下町だった。部屋のすぐ裏をひっきりなしに走る路面電車の音を聞きながら、「これで俺も銭湯通いのひもじい暮らしか」なんて思っていた私が銭湯に対してイメージしていたのは、『神田川』で歌われる金のない若い男女が石鹸箱をカタカタ鳴らせて通うような日常生活と密接に結びついた世界だ。しかし実際に生活上の必要として通い始めるにつれ「銭湯というのは案外金のかかるもんだな、スポーツジムの会員になる方が安いぞ」と考え始めた。事実近所にあったジムの会員になってみるとランニングマシンには同じアパートの住民がおり、金のない人間が考える事は同じなのだと思った。しかし長年のアパート暮らしの中で私は結果的にジムよりも、風呂券を買っての銭湯通いを選ぶようになる。労働を終え体を洗った後の気持ちの満足感が違うからである。そこで悟ったのは銭湯に対する考え方で、湯をかけて単に体の汚れを落とすため(生活上の必要)と思えば四百数十円という値段は高いが、「生活」から「娯楽」にフォルダ移し変えた上で銭湯という文化をとらえると、たかだか四百数十円で心身ともにリラックス出来その後の酒のウマみも30パーセントアップするわけで、途端に安く感じられる。私はすさんだ気持ちを調整するために足繁く銭湯に通った。やがて、町からはひとつ、またひとつと銭湯がなくなっていき立派なビルが建つようになった。

日本の公衆浴場にはかつて「三助」と呼ばれる客の背中を流す職人がいた。そういえば子供のころにはよく父親から背中を流してくれとたのまれた事があったし、温泉番組やドラマなどで気持ちよさそうに背中を流し合ったりする場面を誰でも一度くらいは見た事があるはずだ。背中を流す、という行為には何か特別な親密さや贅沢さをあらわす意味でもあるのだろうか。あくまでも個人的な感覚からすれば、背中くらい自分で洗った方がてっとり早いのではないかと思うが、体の汚れが落ちれば場所はどこだっていいじゃないかと考えた自分が結局最終的にジムよりも下町の銭湯を選んだのと同じように、三助さんに背中を預け手がけてもらうというのは「生活」ではなく「娯楽」側、汗や汚れを落とすという以上の価値があるのだろう。しかしいずれにせよそんな文化は今では想像するしかない遠い昔の世界だなんて思っていたところ、実はつい最近の2013年暮れまで東京には日本で最後の1人となった三助こと橘秀雪さんが現役で活動されていた事を知り、私は途端に後悔の念をおぼえた。ぜひ行ってみたいと思っても後の祭りだ。今でも映像として残る橘氏の仕事風景を見ていると「背中を流す」というのは単なる汚れ落としというよりも、マッサージに近い分類で、それがいかにも心地良さげで客がうらやましい。私は一念発起し、こうなったら仕方がない、ここは自分が三助となって、流される側ではなく流す側になろうと考えた。背中を流す相手はウミガメである。

「混獲」とは捕ろうと思った魚以外の生物が網にかかってしまう事で、海があたたかくなると船の多い瀬戸内海にやって来たウミガメが漁網に引っかかる事故があるという。網にかかったり船にぶつかってケガをしたり、それだと亀にとって災難だという事で、神戸市にはウミガメの一時療養所がある。それが神戸空港のある島の、はしっこに作られた大きな海水池で、ここで一時的に保護されたウミガメは休んだり治療を受けたりして冬になると太平洋側の海に放してやる。その前に必要な健康診断をするのだが、自然の海中ではなくあくまでも人工的に作られた海水池なので甲羅に汚れがつきやすいのか、ダイバーさんが事前に引き上げたウミガメ達には一様に背中にコケがくっついている。その甲羅を有志が(主に子供たちが)集まってタワシで磨く、というイベントがあるのだ。私の子供はあれだけ夢中になっていたアンパンマンにすっかり興味をなくし今では『ファインディング・ニモ』の見すぎですっかりウミガメファンになっているから、その日も妻と子供を連れ三宮駅からポートライナーに乗って神戸空港駅へ向かった。現地には何があるわけでもないが、視界をさえぎるものがないため空がだだっ広い。ちなみに目の前にあるのは結婚式場である。このような場所がある事を初めて知った。神戸は広い…。

イベントはあくまでも真面目な研究の一環というか、人をたくさん集めて派手にやる種類のものでもないため、当日の流れはシンプルだ。ダイバーさんが潜って陸地に上げたウミガメたちを、開始時間になったら体重測定し、そしてタワシでこすって汚れをおとしてやる。集まった全員ぶんのタワシまでは用意されていないので、あくまでもウミガメ好きの子供たちを中心に、たまに大人である私も混ぜてもらって……せっせと三助さんになったつもりで背中を流す。旦那、疲れがたまっておりますね、なんて声をかけながら。このために映像を何度も見て予習して来たのだ。「え? この仕事をやっていて良かったこと? こういうのはアンタ、別に良いも悪いも何もありゃしません、仕事だからねえ、へい」と口調を真似しながらウミガメたちの(たくさんのコケにくっ)つかれた背中をごしごしと洗い流す。旦那、ずいぶん鍛えてるんですね。背中がカチカチですぜ。おっとこりゃ甲羅ってやつですか。ダッハッハ。

タワシでせっせと洗っていればやがて甲羅はてかてかと綺麗になり、すぐに元いた海水池に放してやる時間がやってくる。亀をかついだ職員さんのまわりには子供たちが集まって、私たちもいっしょに浜辺まで歩き、そしてそそくさと水の中に帰って行くウミガメを見送るのだ。子供といるおかげで私はこの一年で、一生分のウミガメを見たのではないだろうか。

その日の夕方は久しぶりに近所の銭湯に行き、映画『ファインディング・ニモ』で主人公の一人であるドリーが印象的に、まるで呪文のように繰り返し唱え続ける「シドニーワラビー通り42、Pシャーマン」「シドニーワラビー通り42、Pシャーマン」「シドニーワラビー通り42、Pシャーマン」という地名を湯船でなんとなく暗唱しながら、私も目を閉じて主人公のドリーとマーリンのようにウミガメの背中に乗ってどこまでも遠くに行きたい……ここではないどこかへ……と妄想する。しかし頭の中はすぐ、冷蔵庫に入っている野菜の在庫の事に切り替わり、どこかに出かけるわけにもいかないか、さて生活生活と、晩めしの献立を考えた。