『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』

『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』は2017年5月から2019年4月まで本ブログ管理者である平民金子が執筆し神戸市広報課サイトにて連載されたコンテンツです。現在神戸市広報課サイトに本コンテンツは掲載されておりませんので、このたび神戸市さんのご好意により本ブログへの転載許可を頂きました。記事の著作権は神戸市にありますが、書かれた内容についてはすべて執筆者にお問い合わせ下さい。本コンテンツに大幅に加筆をした『ごろごろ、神戸。』が株式会社ぴあより出版されています。そちらもよろしくお願いします。

第8回 市場のある風景

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古い町なみを壊してしまうのは簡単だ。

神戸に住み始めてこの2年数ヶ月の間に、私の狭い行動範囲だけでも稲荷市場のアーケードが残っていた部分と、宇治川の毎日市場がなくなった。どちらの市場(いちば)にも共通するのは、私が暮らし始めた時点では往年のにぎわいはすでになく、ほとんどの店舗がシャッターをおろしていたという点で、そこには海底深くに眠ったままの沈没船を思わせるような、時間の止まった静けさがあった。現在もよく行く神戸新鮮市場周辺をはじめ、灘や板宿や長田、三宮駅近くの二宮市場や大安亭(おおやすてい)市場に行けば神戸には今もまだまだ現役で活気ある商店街や市場の風景が見られるのだが、数十年後の未来にもこれらの文化が残されているのかと言えば、そんな保証はどこにもない。

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私は東京の池袋に長く住んでいて、暮らしていた町が丸ごと再開発によって跡形もなく消失するという経験をした。何十年にわたる人々の営みがあろうがなかろうが、工事が決まってしまえば後は住人が1人減り2人減りし、町は何か言葉を発するわけでもなくある日工事用フェンスで覆われて、あっさりと更地になる。神戸に残された市場を見ていると「東京だったらこういう町なみは良きにつけ悪しきにつけとっくの昔に再開発されてなくなっているな」と思う。古くから住んでいる人にとっては日常の風景かもしれないが、よそから来た私にとっては神戸の市場というのはなぜこんな景色が今の時代に残っているのかと不思議で仕方がない。第1回でも書いたが私はこの景色に惹かれて神戸に引っ越してきたくらいだから。池袋でも、その次に住んでいた三鷹でも見慣れた家々や路地は再開発で一変した。

いま普通に暮らしている町なみは永遠に続くものではなく、簡単になくなってしまう。なくなってしまった風景は二度と元には戻らない。私たちの暮らしの風景は、とても儚いものだ。

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豊田和子『記憶のなかの神戸』は1929年(昭和4年)生まれの著者が記憶を元に子供時代に見た風景をふりかえる。舞台となるのは今の湊川神社西門一帯で、この辺りはかつて商店が密集していた。洋服屋、呉服屋、靴屋、足袋屋、薬屋といった生活用品から、うどん屋、カフェ、喫茶店、漬け物屋、たまご屋、アイスキャンデー屋、パン屋、焼き芋屋、寿司屋、菓子屋、煎餅屋といった食べ物屋、そしてビリヤード、キャバレー、遊戯場、活動写真、芝居小屋といった遊興施設までびっしりと店が集まっている様子が地図で描かれている。小学生時代の商店街や出会った人々の記憶を思い出す甘美な序盤からやがて1930年代も後半に入り、戦時色の強くなる中で女学校に入った著者は空襲で家を焼かれ、さらに避難先の家も隣家に落ちた焼夷弾の延焼で焼け、着の身着のままで暮らして行く。そして二度の神戸空襲をようやくのことで生き延びたある時、農家で少しばかりの野菜をわけてもらった帰り道に、著者の近くで不発弾が爆発した。日々の空襲に怯える中で著者はイヌやネコ、ウサギやキリンといった可愛らしい動物たちが同じアパートで暮らし、にぎやかな商店街で買い物をし、洋服を着たり部屋に花を飾ったり編み物をしたりという、あたりまえの生活をする様子をひたすら絵に描き続けた。茨木のり子の詩や『この世界の片隅に』の神戸版というとわかりやすいだろうか。著者がこの本の中で描いた神戸の風景は、空襲によって何もかもが失われた。

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私は今、日々の買い物のために商店街や市場に日参しており、神戸の各所に残る個人店文化の素晴らしさにふれて、その洗礼を遅ればせながら受けている身であるが、歩いていて当然のように気付くのは店員さんにしても買い物客にしても高齢の方が多いという事だ。今と昔とでは、昼間から市場で買い物できる人間の絶対数が違う。私の知り合いの中でも、平日の昼間に日用品を買い物できる人間は少ない。だいたいの市場は夕方には営業が終わっているので「行きたくても仕事が終わらなくて行けないよ」という人が深夜まで開店していてなんでも揃う大型スーパーに行くのは当然の事だろう。けれど、今なお輝きを放っている市場が、時代が変わり役割を終えたというらく印を押されて町からなくなってしまう、もしもそんな未来が来たら、あまりにも惜しい気がする。商店街や市場で働いている人や買い物をしているお年寄りの誰に聞いても「そらアンタ、昔の方がにぎやかやったよ」と教えてくれる。このおばあさんたちの世代がいなくなった後の市場はどうなるんだろう。私たちや子供の世代がおじいさんやおばあさんになった時にも、東山商店街は今の状態で残ってくれているだろうか。

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私が市場の個人店が持つ力を強烈に意識したのは、かつて稲荷市場にあった魚屋「なみき」で買った刺し身を食べた時と、同じく稲荷市場にあった丸富食品で買った牛たたきや牛ステーキを食べた時だ。恥ずかしながら魚も肉もスーパーで買おうとどこで買おうと一緒だろうと思っていた私は、この2つの個人店に「神戸にようこそ、市場の味へようこそ」とでも言うような強烈な洗礼を受けた。肉は肉屋で、魚は魚屋で、豆腐は豆腐屋で買った方が美味いという、昔の人間なら当たり前に知っていた事を私は40を過ぎて初めて知る事になった。肉は丸富、魚はなみき。私が通い始めた時にはもう店はほとんど残っていなかったが、神戸駅の南側、今は更地になって取り壊された稲荷市場の一帯は、私に市場が持つ底知れぬ力を教えてくれた先生だった。一見さびれた見た目なのに(私は最初この見た目に惹かれて、買い物をせず写真だけ撮って帰った)、一歩踏み込んで話を聞き、店先に並べられた商品を食べてみたら広がる神戸の味の豊かな風景。なんなんだよこれは。その驚きが今もまったく色あせず、私は今日もベビーカーを押して、大好きな市場に通う。

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ちなみに、稲荷市場にあった丸富食品は閉店してしまったが、活魚の「なみき」は店も新しくなって、元町6丁目商店街に移転し去年から営業を再開している。創業なんと120年である。お昼時の「なみき」の前のにぎわい。私が好きな神戸の風景のひとつだ。そこを通るたびに、神戸の食のなんと贅沢な事かと思う。