『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』

『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』は2017年5月から2019年4月まで本ブログ管理者である平民金子が執筆し神戸市広報課サイトにて連載されたコンテンツです。現在神戸市広報課サイトに本コンテンツは掲載されておりませんので、このたび神戸市さんのご好意により本ブログへの転載許可を頂きました。記事の著作権は神戸市にありますが、書かれた内容についてはすべて執筆者にお問い合わせ下さい。本コンテンツに大幅に加筆をした『ごろごろ、神戸。』が株式会社ぴあより出版されています。そちらもよろしくお願いします。

第26回 神戸港灯台巡り

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11月1日は灯台記念日らしい。私はこれをてっきり、最近になって神戸市が数字の「1」を灯台に見立てて適当に作ったものだろう……なんて思っていたのだが、無知もいいところ、ウィキペディアを見ると1868年に日本で最初の西洋式灯台が横須賀で起工されたのを記念し海上保安庁が1949年より制定、とあるからこれは充分に歴史のある記念日なのであった。といってもこれまで灯台とは縁もゆかりもない人生を歩んできたので、たまたま海に近い神戸という町に住んでこのような連載を始め、常に近郊のイベント情報を収集している今の状況でもなければ、特に祝日でもないこのような記念日は、気付かないままで何事もなく過ごしていただろう。

実はこの日は、「神戸港灯台巡り」という非情に贅沢なイベントが行われていた。それはブラタモリの神戸回にも出演していた神戸港振興協会の森田潔氏のガイドで遊覧船ファンタジー号に乗り、この日だけの特別コースを周遊するというものだ。
私たち、ごろごろ神戸取材班としては重要度が最高レベルのイベントであり、これに関しては10月に参加者募集がかかった時点で「他人にうかうか話すとライバルが増えて当選確率が下がってしまうぞ」と考えたので誰にも言わずに黙っていたが、私は募集開始のその日のうちに郵便局に行き、中学2年か3年生くらいの時に関西のラジオ局が主催で田村英里子、CoCo、増田未亜中山忍らが勢揃いするアイドルコンサートの観覧に応募した時以来約25年ぶりに官製往復はがきなるものを購入、かしわ手打って投函したのだった。
それから待つこと10日ほど、ついに豪華イベントへの招待状をわれわれは手にしたのである。

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落選かよ。
しかし、ここでめげていては生き馬の目を抜くコラム界では生き残っていけない。「男には負けるとわかっていても戦わなければいけない時がある」そんなキャプテンハーロックの有名なセリフがあるが、私の心境はそのようなものであった。船に乗れなくてもいい、取材班全員を引き連れて時間通り集合場所に行こう。

10月の後半は天気が荒れる事が多かったがこの日のハーバーランドは11月らしく、空気の澄んだ素晴らしい秋晴れで(冒頭の写真がそれだ)、まさしく絶好の灯台巡り日和。私はベビーカーをごろごろと押して、出港するファンタジー号をすぐそばで見守る事が出来る最良のポジションを探し待機していた。今、乗船資格のない私に出来る事はといえば、参加者の航海の無事を祈って、強くそう念じれば紅ショウガに似ていなくもないファンタジー号の船体に入った斜線と、さらに強くそう念じれば紅ショウガに似ていなくもないポートタワーを背景に牛丼をかざし写真を撮るくらいだろう。11月1日水曜日午後14時00分、我らがファンタジー号出港時の名物である、ドラの音が高らかに響く。その音を合図に私は容器のフタを開けた。

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船内は灯台記念日にちなんだ111名の参加者たちで満員になっているが、私の牛丼だって並盛りとはいえつゆだくだ。
この瞬間誰もがきっと、私の手に持つ牛丼をもうひとつの灯台だと思ったことだろう。
残念ながら今回、神戸港灯台巡りの夢は叶わなかった。私は対抗心から新開地の松屋ハーバーランド吉野家、元町のなか卯、三宮のすき家を舞台にした開港150年牛丼屋巡りを決意したが、胃がもたれるのでやめた。

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