『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』

『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』は2017年5月から2019年4月まで本ブログ管理者である平民金子が執筆し神戸市広報課サイトにて連載されたコンテンツです。現在神戸市広報課サイトに本コンテンツは掲載されておりませんので、このたび神戸市さんのご好意により本ブログへの転載許可を頂きました。記事の著作権は神戸市にありますが、書かれた内容についてはすべて執筆者にお問い合わせ下さい。本コンテンツに大幅に加筆をした『ごろごろ、神戸。』が株式会社ぴあより出版されています。そちらもよろしくお願いします。

第30回 犬の話

1975年生まれの私が子供の頃、町にはもう野良犬はほとんどいなかった。とはいっても時々は、通学路をふらふらと歩く飼主不明の犬がいて、学校の帰りにパンをやり、そのままついてこられて困ったり、なついた犬を住んでいた集合住宅に連れ帰って親に怒られたりといった体験はしている。ただそれも小学生の時の記憶で、その後いつの間にか野良犬の姿を見ることは完全になくなった。
仁科邦男『犬たちの明治維新 ポチの誕生』という本には野良犬をなんとか駆除しようとする明治新政府の苦労が描かれている。さすがに野良犬というのは「かわいいね」だけで済まされるものではなく様々な問題を引き起こすので、政府としてはなんとかなくしてしまいたい。

路上にたむろする野蛮な犬たちを一掃したいというのは新政府の確固たる方針だった。狂犬病対策はその目的のひとつだったが、基本的には犬と人との関係の欧米化、言い換えると、里犬(町犬、村犬)の存在を否定し、個人によるすべての犬の飼犬化を図った。
(中略)
明治になって、飼主のいない犬はすべて処分されることになった。狂犬病が猛威を振るわなかったら、かつての里犬はまだのんべんだらりと道路に寝そべっていたかもしれない。(仁科邦男『犬たちの明治維新 ポチの誕生』)

ただ、ここは現代の私たちの感覚と違うところだが、新政府の野良犬対策は「首輪に住所氏名を書いて飼主をあきらかにせよ(あきらかでない犬は処分する)」と言っているだけで、飼犬はきちんと家で管理して鎖(リード)でつないでおきなさい、というものではない。あくまでも犬は放し飼いである。
先月新開地で犬を散歩させていたら知らないおばあさんに話しかけられて「私も今は足腰悪いからアレやけれど、犬が好きで昔は大きいのが3匹もおったんよ。でも昔やからそんなヒモなんかつけんとな、ぜんぶ放し飼いやったから」と言っておられたので、「犬をリードでつなぐ」という今の私たちにとっては当たり前の感覚は歴史的には最近のものであって、江戸以前から明治、大正、昭和のある時代まで、犬を鎖につなぐという概念自体がなかった時間のほうがよっぽど長かったのだと、そんな事を考えた。

「人のうちの犬のことは、平気でそんなことがおつしやれるでせうけれど、お宅の犬が、先達、これの晩のおかずにわざわざ買つといた平目の切身を、うつかりしてる間に銜(くは)へてつたことは御存じございますまい。さういふ犬も、鎖で繋いどいていただきたうございますわ。」
岸田國士『犬は鎖に繋ぐべからず』

昭和の初めに書かれた岸田國士の戯曲『犬は鎖に繋ぐべからず』では、主人公の飼犬が近所の鶏を追いかけ回しては噛み殺したり、他人の敷地に入って靴をくわえていったりといった行動を繰り返すために近所から苦情を言われて、犬の飼い方について村の人間が寄り集まって会議をする場面がある。
しかし、会議では犬に鶏をかみ殺された被害者が「すべての犬を鎖につなぐようにしてくれ」と訴えても、どんな犬でも鶏を殺すわけではあるまいと多数決で否定され、「せめて鶏を殺すような凶暴な犬だけでもつないでくれ」と言えば「鶏に襲いかかる犬だけが凶暴なわけではない。台所からヒラメを盗む犬も鎖につなげ」と珍妙な意見まで飛び出して紛糾し、結局「どんな犬にでも、鎖に繋ぐといふことは絶対に不賛成」という案が多数決で可決されてしまう。いささか大げさな展開ではあるが、「犬を鎖につなぐ」事が当時としては特別な行為であったのはわかる。

そのころは飼い犬と野良犬の区別がつかぬほど放し飼いの犬がおおく、首輪も鑑札もない犬が路地うらや街角にいつもたむろしていた。 なかには口からあわをふいてフラフラとよろけながら歩く、ひと目で狂犬とわかる野犬もいたが、ほとんどの野犬は家いえで残飯などをもらい、子どもをおそうようなこともなく、飼い犬とたいしてかわらない暮らしぶりをしていた。
(中略)
当時はそんなぐあいで、野犬やら野犬まがいの飼い犬、飼い犬まがいの野犬などがはいて捨てるほどいたから、それを捕獲する人たちの姿もあちこちで見かけた。
彼らは荷台に大きなおりをのせたトラックで風のようにやってくると、手もとで操作できる針金の輪がさきについた棒でつぎつぎに犬たちの首をひっかけ、おりにかたっぱしからぶちこむと、また風のように立ちさっていった。
それは清潔な社会をつくるためにはしかたのないことだったが、野犬たちが路地に追いこまれ、悲鳴をあげながらひきずられてゆくさまを見ると、私たちはどうしても犬の味方をせずにはいられなかった。
舟崎克彦『雨の動物園』犬の章)

第24回で紹介した舟崎克彦『雨の動物園』で主人公が飼っている愛犬ペスも当然のように放し飼いだ。物語の舞台は1950年代の東京。ペスは気ままに町をうろうろして、ある時しばらく姿を消してしまう。心配した主人公は必死に周辺を捜索し、やがてあきらめて「これは捕まえられてしまったに違いない」と落胆するが、しばらくして友人から「犬が見つかったぞ!」とうれしい報せが届く。そしてここから感動の再会になるのかと思いきや、ペスはようやく無事に町に戻って来たというのに、大好きだったメス犬のところに挨拶に行って、そのメス犬に噛み殺されてしまうというなんとも不条理な展開になるのだが、内容の話は置いておいて、引用部分のどうしても犬の味方をせずにはおれない「私たち」の気持ちは、戦後の国の発展と共に姿を消していく野良犬たちへの鎮魂歌のように思える。
やがて町から野良犬はいなくなり、犬たちは管理されて鎖(リード)につながれる時代がやってくるのだ。

さて、だいたいの人は今回も話の途中で脱落してどこかに行ってしまったと思うが、ここまで我慢して読んでくれていた気の長い人も、いい加減このように思っている事だろう。「お前は結局、なんの話しがしたいんや?」と。
わかったわかった、本題に行きまっせ!

今日は日曜日に王子動物園でおこなわれた「干支の引き継ぎ式」のレポートが書きたかったのである。
何をかくそう来年の干支が戌(いぬ)なので、だから犬の話をずっとしてたってわけ。
でも肝心のレポートするの忘れてずっと雑談しちゃったってわけ!ワンワン!