『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』

『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』は2017年5月から2019年4月まで本ブログ管理者である平民金子が執筆し神戸市広報課サイトにて連載されたコンテンツです。現在神戸市広報課サイトに本コンテンツは掲載されておりませんので、このたび神戸市さんのご好意により本ブログへの転載許可を頂きました。記事の著作権は神戸市にありますが、書かれた内容についてはすべて執筆者にお問い合わせ下さい。本コンテンツに大幅に加筆をした『ごろごろ、神戸。』が株式会社ぴあより出版されています。そちらもよろしくお願いします。

第8回 保久良山

ビールでも飲もうかと、海の家を横目で見ながら砂浜を歩く。
しかしこれだけ暑いと注文したところですぐにヌルくなりそうやと、そのまま通り過ぎた。
8月の海水浴シーズンの浜辺で見られる光景に対して、あんなん身体がベタベタするだけやとか、着替えがめんどくさいとか、うしろ向きな気持ちばかりが前面に出てくるようになったのはいつの頃からか。
妄想たくましく出会いを求め、アルバイト情報誌で海の家の仕事を探していた高校生の頃がなつかしい。
(探していただけだが)

あの頃は恋の予感だけで白米を5杯は食べる事が出来たのだ。
しかし今、あれほど憧れた海が身近なものとなったのに、私はすっかり枯れた人間になっている。
海で遊ぶ水着姿の若い男女。海の家で働く若者の笑顔。
何もかも紗がかかったように非現実的で、私はただ、早く家に帰って涼しい部屋でゲームがしたいと思っている。
ビールを飲んでも身体がだるくなるだけだ。

夕方の6時頃から、7時を少し過ぎたあたりまで。
そのわずか一時間ほどが、今の時期の浜辺の一番美しい時間だと思う。
湿度高く濃い空気と、輪郭線のくっきりとしたマジックアワーの世界。
明るい時間に遊んでいた人たちはすでに家路につき、ぽつりぽつりと若者がたたずんでいるだけだ。
私のすぐ近くの波打ち際で、じゃれるように遊んでいた男女の、女の方が靴も脱がずに海に入っていく。
靴は濡れ、次に足首が濡れ、そして膝、やがて腰のあたりまで海水に浸かったところで女は男の方に振り返り、両手を差し出す。
それを見ていた男は戸惑いながらも彼女を追うように、海に入って行く。
2人は何か言葉を交わしているのだろうか、それはわからないけれど、波の音しか聞こえない世界で濡れた服のまま抱き合い、キスをし始めた。

私は足元にびろんと伸びた海藻を見て、よし、来世ではあちら側に行けるように頑張ろうと誓う。

あちら側の世界。私たちの人生には大なり小なり、様々な分岐点がある。例えば信号に引っかかって電車を一本乗り遅れるとか、降りようとしていた駅を眠って乗り過ごすとか、自販機で水の代わりにスポーツドリンクを買うとか、アメを買おうとしていたけどなかったのでグミを買うとか、どんなにしょうもない事であってもそれがきっかけとなって、人生が変化してしまう場合がある。藤子・F・不二雄の『パラレル同窓会』は、そんな様々な分岐点で枝分かれした、平行世界に暮らす「自分」たちが一生に一度だけ集まって同窓会をする話だ。

主人公は商社の社長で十二分に人生の成功者であるという自覚を持つ人物だが、パラレル同窓会では様々な「自分」に会う。ある世界の自分は同じ会社にいながらも社長ではなく窓際に追いやられている。ある世界の自分は、若かりし頃に夢中になった学生運動をやめず活動家として現在も運動に身を投じている。ある世界の自分は、金は困っているものの夢を叶えて作家になっている。ある世界の自分は、罪を犯して刑務所に入っている。
私もまた、その時々の分岐点で今とは違った選択をしていれば、まったく違う自分となっていたのだろうか。

平行世界で、私は仲間たちとバーベキューをしたり花火をしたり、ビーチバレーに興じたりしている。
夜の浜辺に寝転んで、星を見ながら手をつないでいたりしている。
夏の海に服のまま浸かって恋人と抱き合い、キスをしたりしている。

JR摂津本山駅を降りて少し歩いた先にある保久良山は、18歳の中島らもがファーストキスをした場所として有名だ。
中島少年が小中高と、ある時は授業の一環で、ある時は学校をさぼって、町を見おろす小さな山へと向かったのはこのあたりの道だろうかと駅前から歩く。
山頂までは簡単に行けるものだと思っていたが、普段なんの運動もせず、メトロ神戸の地下道から地上に出るたった数十段の階段でも息が切れてしまう私にはれっきとした登山である。
歩きながら、今から半世紀以上昔の、少年の後ろ姿を想像する。
セミの声に混じって、小さな足音が耳に響いてくる。

それにしても、この炎天下に外を出歩くのは拷問としか思えない。
私はと言えば、先ほど一気飲みしたスポーツドリンクのせいなのか、他人の青春に嫉妬をし過ぎた祟りなのか、腹の調子が悪くなり、だんだんと景色や中島らもの事がどうでよよくなる。

トイレを貸してくれそうな店や公共施設もありそうにない。今さら駅に戻る余裕もない。
暑さのせいか腹痛のせいか、滝のように出てくる汗をタオルで拭きながら、この先の神社にもしもトイレがなかったら人生アウトだな、と思う。ここがまさに、平行世界への分岐となるだろう。

何が山上でキスだ。この青春野郎め。
あまりの腹の痛さに他者を恨む事で意識を他に逸らすしかない。
あの時もし、スポーツドリンクを一気飲みしなかったら。
暑いのに外に出ず、家でおとなしく高校野球を見ていたら。
そんなパラレルワールドについて、今さらのように考えてしまう。

やがて、木々の隙間から家々の屋根と海が見える神社近くの登り坂で、ふいに静寂が訪れた。
便意には波があるのだ。
「これが最後の凪だろう」
そう考えた私は、一世一代の賭けに出る気持ちで、神社までの道を渾身の力で駆けた。

 十八のときに、そのころ付き合いはじめた女の子とこの山に登った。ヒマはあるけれど、喫茶店に行く金はない、そんな夕暮れだった。
 頂上で、僕は生まれて初めて女の子とキスをした。鳥同士のあいさつみたいな、そんなカチッと音の出るようなキスだった。
(『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』)

他人のファーストキスのスポットなど訪ねに来るべきではなかった。
最後の力で押し寄せる大波に、歪んだ視界の中で、保久良神社の大鳥居と、かつてこの辺りを通る船の目印となったという石灯籠「灘の一つ火」を過ぎ、すぐ横の梅林から金鳥山へと向かう道の入り口に、それはあった。

景色もパラレルワールドも、もうどうでもよかった。飛び込んだ個室で、私はただ「助かった」と言う思いで、壁に貼り付いた小さなカマドウマと向かい合っている。セミの声がオーケストラのように私たちを祝福していた。何もかもが愛おしく、世界は光り輝いている。