『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』

『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』は2017年5月から2019年4月まで本ブログ管理者である平民金子が執筆し神戸市広報課サイトにて連載されたコンテンツです。現在神戸市広報課サイトに本コンテンツは掲載されておりませんので、このたび神戸市さんのご好意により本ブログへの転載許可を頂きました。記事の著作権は神戸市にありますが、書かれた内容についてはすべて執筆者にお問い合わせ下さい。本コンテンツに大幅に加筆をした『ごろごろ、神戸。』が株式会社ぴあより出版されています。そちらもよろしくお願いします。

第19回 あの日、あの時の動物園

ハーバーランドumieにある大垣書店で買い物をしていると、探していた本と同じ棚に成田一徹『新・神戸の残り香』(神戸新聞総合出版センター)があって、それをなんとなく手にとってパラパラとめくってみれば普段から私がよく行く場所が多数切り絵作品として掲載されており、困った。こういう場合、普通に考えれば読んだ方が良いのだが、うかつに読まない方が幸せな場合もある。さてどうすべきか……などと考えた時にはすでに遅く、私はそこにある一点の切り絵と短い文章に吸い寄せられていた。これは立ち読みしている場合ではないと考えてレジへ。1階まで降りてにしむら珈琲店に入り、ふたたび58ページを開く。
『平和を映す父の温顔』
そう題されて描かれていたのは、第15回で私も書いた王子動物園チンパンジー、ジョニーだ。
『新・神戸の残り香』の連載は2010年4月から2012年10月まで続いており、作者は連載の中で2011年の3月11日をむかえた。

絵を描いていて、その温顔に微かな不安の色を見つけたのだが、もちろん思い過ごしというものだろう。
三月十一日午後三時頃、灘区の市立王子動物園。サル舎の広場の中で、その時ジョニーは、日なたぼっこの最中だった。国内最長寿のチンパンジー。六十一歳。昭和三十年、五歳の時に来園。子宝に恵まれ、今も六人家族の賑わいの中で、平和に暮らしている。

私は、作者が3月11日の午後3時頃、王子動物園で実際にジョニーと対峙していたのか、それともあの日あの時のジョニーを思い浮かべながら作品を制作したのか、どちらなんだろうと想像した。
普通に読めば前者、つまり震災の時にたまたまジョニーがいる放養式動物舎におられたという事なのだが、もし後者だとすると作者はなぜ東北地方沿岸部から1000キロ近く離れた場所にいるジョニーというフィルターを通して「あの日、あの時」にアプローチしようとしたのだろう。謎というよりも、成田一徹氏が3月11日を描くにあたって王子動物園のジョニーを題材として選択した理由を私は聞きたかった。何かを描こうとする時に最初に設定するのは描こうとする対象と自分との距離感で、作者が東北地方から離れたジョニーを選んだという事、その距離感の設定にはとても大きな意味があると私は思ったからだ。そんな事を、珈琲を飲みながらぼんやりと考えていた。

あの日、私は写真撮影の帰りで東京の青梅線に乗っていて、自宅に帰る途中の拝島駅で電車が止まってしまい、そのまま電車内で一夜を過ごした。夜になって緊急の避難所が用意されたという案内も受けたし、駅から外に自由に出る事も出来たのだが、翌日の予定もなかったので無理に歩いて帰る事もせず、そのまま停車した電車のシートに寝ころんでいた。外界で何が起こっているのかを知りたくはなかった。だからわざと携帯電話の電源を切り、持っていた小説を読みふけった。翌早朝には一部の電車が動き出し、立川駅まで辿り着くと駅構内には毛布をかぶって地面に座る人たちがあふれている。情報を遮断したくても乗客たちの持っている新聞紙の大きな見出しが目に入る。それでも目を伏せて、住んでいた西荻窪の部屋に帰ると階段には外壁のかけらがところどころに散らばっていて、鍵を開け中に入ると冷蔵庫の中身や皿が床に落ちていた。割れた生卵、前日の残り料理、それらを黙々と片付けて床を拭き、何も起こらなかったかのように小説の続きを読む。それからの数日間、私は年間パスポートを持っていた上野動物園に通い続けた。

震災後の東京の風景として強く印象に残っているのが、昼間消灯された薄暗い電車の車内に差し込む太陽の光の美しさと、時間が止まったように静かな動物園で心地よさそうに眠る動物たちだった。ピーコという、タオルを首からかけるのが好きなゴリラがいて、私は赤いタオルを首にかけ眠るピーコを無心で眺めていた。成田一徹氏が『新・神戸の残り香』で王子動物園のジョニーから震災を見ようとしたとするなら、私は上野動物園のピーコを見ることで震災から目をそらそうとした。しかし、そんな上野動物園もあの日から一週間ほどたって無期限の休園となった。駅は相変わらず薄暗い。コンビニの棚には物がない。私は、いいかげん目を覚まさないとなあなどと思いながら、東北地方の沿岸部へ行く伝手(つて)を探し始めた。その頃の東京の町には不思議な静けさがあった。

東山商店街やマルシン市場に買い物に行く時によく前を通るペットショップの東山水族館は、道路に面してたくさんの鳥かごが置かれているので(名前は水族館なのに)、昔から子供が気に入っている場所だ。この店の前を通る時には文鳥やインコのカゴの前でしばらく立ち止まる。子供が「チッチ、チッチ」と自由に鳥たちを観察するのにまかせて、私はインコのカゴの値札に書かれた「平均寿命約7年」という数字を見て「7年か。今こいつを飼ったとして7年後、俺は生きてるんやろうか」などとぼんやり考える。若い頃は、生きている事は自分にとって当たり前の前提だった。しかし人生はある日とつぜん、何の前触れもなく終わってしまう事がある。そんな事実を経験的に知る年齢になってしまったから、今の私は「生きている」事はとても特別な事だと思うようになっている。19歳の時によく読んでいた作家、中上健次の享年46歳という数字はその頃とても遠く、遥か未来に見えたが、今の私にはたった4年後の世界で、同年代と言ってもいいほどに身近なものだ。平均寿命どころか数年後に生きていられるという、そんな頼りない保証すら私たちは持っていない。朝起きてカーテンを開け、陽の光をあびる。それは疑いようもなくラッキーな事なのだ。

結局私が沿岸部の被災地域に行けたのは翌月の4月のことで、「誰も受ける人間がおらんから俺んとこが忙しい」そうぼやく知り合いの運送業者にたのんで、事務所移転の作業員としてトラックに乗せてもらった。「俺は仕事で来てるんやから」そんな言い訳をしながら、フロントガラス越しに町の風景を見ていた。現場に着くと、いち作業員である事に徹し、体だけを動かした。その後も岩手県宮城県福島県の沿岸部を自分なりに巡って、出会って話を聞かせてくれる人にはあの日の出来事や、それからの話を聞かせてもらった。全員無事だったと笑いながら語る人もいれば、そうでない人もいる。拝島駅のホームで動きそうもない電車から次々に降りていく乗客たちをよそにシートに寝ころんで小説を読んでいた時に、電灯が消えて自然光だけになると電車の中の光の模様ってこんなにきれいなんだ……なんて思いながら電車に乗り動物たちを眺めていた時に、遠く離れた場所で何が起こっていたのかを知る。私は、自分の卑怯さや弱さも知った。

9月18日敬老の日。ジョニーの67歳を祝うイベントがあった。
夏の間は最高値で110,000円の値をつけたカップジュースは、今では季節も変わり600円くらいの値打ちになってしまったが、それでも110円で売られているジュースが600円の値打ちなのだから充分ありがたい。
『新・神戸の残り香』で描かれた2011年からもう6年。ジョニーまだまだ元気に(?)最高齢記録を更新中である。
いつもは人も少なくのどかな放養式動物舎もこの日は取材や行楽客でにぎわっている。
フジロック小沢健二の登場を待つ観客はきっとこんな感じだったのだろうというほどの混雑だ。
せっかくもらったケーキに手をつけず、舎内をパトロールしている間に妻のユキにほとんど食べられていたジョニーだったが、この平和なイベントも今年で21回目。
ジョニーが生きている、そんな風に書けるという事は当然ながら私も今を生きているというわけで、やはりそれはすばらしくラッキーな事だと思った。外に出て見上げれば夏のような青空と大きな雲。台風一過でキラキラと濡れた地面に太陽の光がこぼれ落ちる、なんか知らんが、全部ひっくるめて祝福したいような、王子動物園であった。