『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』

『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』は2017年5月から2019年4月まで本ブログ管理者である平民金子が執筆し神戸市広報課サイトにて連載されたコンテンツです。現在神戸市広報課サイトに本コンテンツは掲載されておりませんので、このたび神戸市さんのご好意により本ブログへの転載許可を頂きました。記事の著作権は神戸市にありますが、書かれた内容についてはすべて執筆者にお問い合わせ下さい。本コンテンツに大幅に加筆をした『ごろごろ、神戸。』が株式会社ぴあより出版されています。そちらもよろしくお願いします。

第17回 坂バスの走る町

灘区を走る「坂バス」が気に入って、用もないのにこのバスに乗っている。
山があって、海があって、その間に坂道があって人々の暮らしがある。そんなぼんやりとしたイメージを「神戸らしさ」と呼んでもいいのなら、坂バスの窓から見える商店街の人々の行き交いや、途中下車して歩き眺める町の景色は、そんな「神戸らしさ」のイメージにくっきりと輪郭をあたえてくれるように思える。神戸といっても広いので、ここは「灘らしさ」と言ったほうが良いだろうか。JR灘駅の南口を降りてすぐ、青空を飛ぶ白いカモメが目印のバス停に立ち、20分に1度やってくるバスに乗る。210円を料金箱に入れて、座席に腰を沈める。発車まであと10分お待ちください。それもまたのんびりしていて良い。私はタブレットをかばんから出して、地図を見る。

神戸に旅行に来て1日ぽっかりと予定があいたなら、あるいは関西に住んでいて「今日はやる事がなくてひまだな…」というような宙に浮かんだ1日に、小銭を持って気のむくまま、坂バスに乗ったり降りたりして町を散策する事をすすめたい。
摩耶山のふもと「摩耶ケーブル下」で降りて目の前の乗り場からケーブルカーに乗り、山頂の掬星台に行ってもいいし、桜の季節なら(気の早い話だが)ケーブル下から歩いてすぐの名所、桜トンネルが絶景だ。

私のおすすめは、JR灘駅から摩耶ケーブル下までの登り坂を旅し、そのまま同じバスに乗り続けて、今度は下り坂を旅するというコースだ。これだと水道筋商店街と摩耶山の間の町並みをぐるっと一周できる。
このバスの本来の目的は、駅から摩耶山へのアクセスを便利にするというものだと思うので、どこにも寄らずバスに乗り続けるのは本来の趣旨から外れてしまうのだが、運転手さんから「…お前誰やねん」と思われるほどに、目的もなくだらだらと乗っているのがおもしろい。と言っても駅から摩耶山のふもとまで、15分程度で着いてしまうので、仮に灘駅から灘駅まで一周したところでたいした時間はかからない。
登り道では「水道筋口」のバス停を過ぎ水道筋6丁目の交差点を左に折れて山に向かう坂道を登る場面が、下り道では踏切を渡って灘中央筋商店街のアーケードにバスが突っ込んで行く場面(!)がハイライトだと思う。バスが商店街の中に「お邪魔します…」とそのまま入っていくのだ。

バス停を「水道筋口」や「門田外科前」、「灘中央商店街」、「水道筋商店街北」のあたりで適当に降りて、水道筋の広大な商店街、市場群を歩いてみよう。もし私が最初に案内されたのが稲荷市場や新開地、神戸新鮮市場のエリアではなく灘区のこのあたりだったら、今ごろはおそらく、生活の拠点を水道筋商店街にして暮らしていたような気がする。何がどうとははっきり言えないのだが、同じ神戸市でも私がいつも通っている兵庫区や長田区の下町エリアとはまた雰囲気が違っていて、兵庫区や長田区の商店街をとろとろのミックスジュースだとすると、灘区の商店街は古くからある純喫茶で出てくる緑や青のカラフルなソーダ水のようだ。と、そんな例えを思いついたが、自分で書いてみても何が言いたいのかよくわからない。

迫りくる摩耶山の近さ。このあたりに来たなら、大きな商店街だけでなく、ぜひ灘中央市場、畑原東商店街~東畑原市場~畑原東市場~畑原市場という一帯(ややこしい…)を歩いて、実際に買い物をしてほしい。私はここに来る時には保冷剤を入れた保冷バッグを持って行き、市場で必ず肉と魚を買って帰る。前回とまったく同じ事を書くが、昔ながらの市場があって美味い食材が売られ楽しげな会話とともに買い物客が行き交う、100年先にもずっと残っていてほしい神戸の風景がここにもある。

坂バスはあくまでも摩耶山観光へ行く人や、地元の人たちが足がわりとして利用する地域バスだから、途中途中で別に派手な景色があるわけではない。ただこのバスに乗って車窓から景色を見ていると、コミュニティバス特有の低い視点が必要以上に町に溶け込む効果を生むのか、自分は昔からこの場所に暮らしているのではないかというような錯覚にとらわれる。

どこでもいい。適当な場所でおりて、バスはどうせ20分間隔で走っているのだからと、ルート上をぶらぶらと散歩する。山に向かい坂道を登ると、ふりかえったその先に、家々のすき間から海が見える。こんな風景は自分の人生の中にあった事はないのに、かつて俺はこの坂道を恋人と手をつないで歩いていたんだよなあ、などといつわりの青春時代を捏造し、なつかしんだりする。坂バスの走る町でもう一度、青春時代をやりなおしたい。それが叶ったところでどうせ手はポケットに突っ込んだまま、1人孤独に坂道を歩くだけだろうけれど。

そんな私にも坂バスは「乗ってく?」と声をかけてくれて、私たちはいっしょに、商店街のアーケードを誇らしげにくぐるのだ。