十代の頃から根無し草の気楽さであちらこちらと住処(すみか)を変えていた私にとって、週に一度とはいえ自分の住む神戸市について、まるで定住者のごとく何ごとかを語っている今の状況というのは非常に居心地の悪いものだ。先日、初めて新開地に来たという知人を駅から商店街にかけて案内しながら、「このあたりの立体的な地形は昔でっかい川やった名残でやな。ここは名前の通り、明治時代に人工的に開かれた新しい町なわけや」などとにわか仕込みの郷土史を滔々(とうとう)と語っている時にも同じ居心地の悪さを感じた。なんで俺はこんなにも真面目に町の歴史を勉強しているのか。なんで俺はこんなにも前のめりに神戸について語ってしまうのか。なんで俺は今まで何の興味もなかった源平合戦の史跡を訪ねるために長田区の路地裏に迷いこみ、ようやくたどり着いた平忠度腕塚の前で手を合わせるのか。出た結論としては、自分は今がんばって「神戸人」をやっているのだなあと思った。
若い頃は金子光晴や大泉黒石のような偉大なるコスモポリタンや、ジャック・ケルアックやアレン・ギンズバーグのようなビートニクにあこがれた。「ひとつところにいると落ち着かない」そんなセリフは若者のうちは馬鹿なので格好つけて言えるが、いい大人になって真面目にそんな事を言っていると、さすがに恥ずかしい。神戸には出身者であれ移住者であれ、定住して10年20年という単位で活動し、地域のために地道に発信をし続けているような人達がそれなりにいて、彼らは震災であれ就職であれ結婚であれどこかのタイミングで、住んでいる地域に根を下ろす決心をしている。きっかけは人によって様々だが、そういう「腹をくくった人たち」の言葉を本やインターネットで読んでいると、私は自分の言葉に対して引け目を感じる。この連載では「移住者」という扱いなのだが、結局神戸もまた自分にとっては移動の途中で立ち寄った町にすぎないのではないか、そんな自問があるからだ。
先日、生まれて初めて地域の清掃活動というものに参加してしまった。ケルアックやギンズバーグは地元の老人たちに混じってホウキを持ちゴミを掃いたりはしないと思うが、私はこの歳になって、詩を書くタイプライターのかわりに猫のフンをつかむトングを手に持ったのである。なぜそんな場に身を置いたのかといえば、犬の散歩時の立ち話で誘われ断りにくかったというのもあるが、子供の存在も多少はあって、異邦人として他人との関わりを排除し暮らすにはあまりにも、今の私は町に世話になりすぎている気がした。根無し草への願望と、根を下ろす事へのおそれ。このまま元気に生きていれば子供はあと数年で小学生になり、そうなると今までのように移動の自由がきかなくなる。ならいっそその前に、神戸から出てしまうか、それとも……。というのが最近のテーマで、私もどこかしらの場所に定住し、気ままな移動人生に対してケリをつけなければいけない時期がくるのだろうか。
港に一時的に立ち寄ってやがて立ち去る人間が発する「ここはいい町だ」と、ずっと暮らし続けている人間が発する「ここはいい町だ」は奥深い所で交わることはない。前者の「いい町だ」をさわやかな飲料水だとするなら、後者の「いい町だ」はどぶろくだ。そこに前者の気楽さはなく、清濁あわせのんだ末にようやく漏れ出たつぶやきとしての重みがある。ただ、町の魅力というのは後者の「重み」だけで語られていいものではなく、ガイドブックなどは前者のさわやかな言葉がなければ成立しない。私は今、神戸に居ながら神戸の事を書いてはいるが、自分がどちらの立場に立って町を見ているのかをいつも意識している。結局のところ、どれだけがんばって神戸人を演じてはいても、まだ私はどこかで「いついなくなってもいいや」という気軽さを残したままのニセ神戸人でしかない。
夏の予行演習のような日差しがまぶしく、荷物を運搬するトラックが砂埃を立てる。私はアントニオ猪木の言葉をつぶやきながら、平清盛が上陸したという800年前のこの地に思いを馳せて、今日も海沿いの長田の町を歩いている。この道を行けばどうなるものか。迷わず行けよ。行けばわかるさ。
「BEATとはBe-at、そこにいること。ときめいていることだ」というJ・ケルアックの言葉が大好きだった。
私は今、この言葉を中居正広風に「BEATとはBe-at、そこ(KO)にいること。ときめいていることだべ(BE)」と言い直してみる。頭文字をつなげると「BE KOBE」である。