『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』

『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』は2017年5月から2019年4月まで本ブログ管理者である平民金子が執筆し神戸市広報課サイトにて連載されたコンテンツです。現在神戸市広報課サイトに本コンテンツは掲載されておりませんので、このたび神戸市さんのご好意により本ブログへの転載許可を頂きました。記事の著作権は神戸市にありますが、書かれた内容についてはすべて執筆者にお問い合わせ下さい。本コンテンツに大幅に加筆をした『ごろごろ、神戸。』が株式会社ぴあより出版されています。そちらもよろしくお願いします。

第34回 ミッドナイト・スペシャル

最初に黒人音楽に触れたのは二十歳になる直前、ジャズでもファンクでもソウルでもなく、第二次大戦前に吹き込まれたノイズまじりのブルースの録音だった。当時大阪梅田の丸ビルにタワー・レコードがオープンして、町の小さなCD屋しか知らなかった私はデパートのような広い売り場が珍しく、何度も自転車で一時間かけて通っては様々なジャンルの視聴コーナーをはしごして回った。そしていつしか、まだ電気楽器が採用されていない時代の、古いブルースにどっぷりとハマっていった。1995年の秋の事だ。

ブラインド・ブレイク、トミー・ジョンソン、スキップ・ジェイムス、スリーピー・ジョン・エスティス、ブラインド・ウイリー・マクテル、ビッグ・ビル・ブルーンジー。主にアコースティックギター1本で演奏されるそれらの音楽はギターを買って間もない私をときめかせるには充分で、彼らのスタイルを模倣しようと毎日必死に練習をした。こつこつと集めた古い戦前ブルースのCDやカセットテープを再生するたびに私はアメリカの、見た事もない広大な綿花畑に思いを馳せた。

音楽は人種や民族、国境も飛び越えて本質的には自由なものだが、同時に、音楽ほど人種や民族、国境を意識させられるジャンルもない。最近読んだ『地下鉄道』(早川書房)という小説にはこのような文章がある。綿花畑で過酷な奴隷生活を送る主人公の少女が支援者の助けを借りて逃亡し、最初に降り立ったサウス・カロライナの町で、水の入った樽と新しい服を渡され体を洗う場面。一見おだやかで、それでいてそこはかとなくひんやりとしたこの描写を読んでもなお、ブルースを聴いてアメリカの綿花畑を呑気に思い浮かべる事が出来るだろうか。

着ていた服を絞ると濁った水が滴った。あたらしい服は黒人の着るようなごわごわと硬いものではなく、しなやかな綿素材でできていて、纏うと清潔になった気がした。まるで石鹼で擦ったかのように。飾り気のないドレスは水色で、線だけの模様が入っていた。こんな服は着たことがなかった。出荷された綿花がこんな姿になるのだ。
(コルソン・ホワイトヘッド『地下鉄道』谷崎由依訳)

去年の7月に、メリケンパークで中川敬氏のライブがあると聞いて行ってみたら、開始早々「アメリカ南部には昔たくさんの黒人の奴隷がおってね、その人らを北部に逃がすための、地下鉄道という組織があったんや」というような語りが始まった(ちなみに、彼らが『アンダーグラウンド・レイルロード』というアルバムを出したのは2014年だから、去年出た小説とは関係がない)。無数の艀(はしけ)が浮かんでいた頃のメリケン波止場ならいざ知らず、すっかり観光地化して綺麗になったこの場所には不似合いに思えるその語りや歌声を聴きながら、私は彼らが23年前、1995年の2月に長田区の新湊川公園でマイクもなく演奏していた光景を思い出した。その時に聴いたのと同じ「アリラン」が、時を超えて雨の降るメリケンパークに響いていたから。

妻としゃべっていて1995年の震災の話題になる事はない。それは単純に、彼女が私より年下で当時は関西とは縁もゆかりもない東京在住の学生であったからだろう。遠くの出来事に対して具体的な想像力が働いたり、痛みに感応したりするにはまだ幼い年齢だったということだ。だから妻は神戸で震災があった事を事実としては当然知っているが、当時の町の具体的な空気、あの頃の町のにおいは知らない。

年が明けたばかりのある日の夜、いつものように寝る気配のない子供といっしょにハーバーランドを歩いていると、子供がモザイク大観覧車を指さして乗りたいと言いだした。こんな事は初めてだったので、せっかくだからと思い800円を払って中に入ってみる。ハーバーランドの夜景は何度も見てきたが上空から見るのは初めてだった。そして、いつもとは違う景色に見とれ頂上の近くまで来た時、ふいに「この観覧車は、震災からの復興を願い設置したもので」という機械音声のアナウンスが流れ始める。

私たちの他、多くは当時まだ生まれてもいない若い恋人たちやグループを乗せているこの観覧車の中で唐突に耳に入ってくる「震災」「復興」という言葉に、私はとまどいを覚えた。私もまた、1995年の一時期をたまたま神戸で過ごしたというだけで、それからの20年を何も知らないままでこの街に引っ越して来たのだから。住み始めてからの3年間で街の輪郭を、なんとなく掴みかけてきたように思っていたけれど、震災にまつわる言葉が「それでいいのか?」と揺さぶりをかける。子供は目の前で移り変わっていく景色をはしゃぎながら眺めている。視線の先にはとても大きな月が出ていた。

レッドベリーが歌う『ミッドナイト・スペシャル』という歌の中では、囚人が「どうか俺を照らしてくれ」と深夜に外の世界を走る列車の灯りに希望を託す。私は大好きなこの歌の歌詞を適当に言い換えて、つまずきそうになった心を打ち消すようにわざと陽気に歌った。ミッドナイトスペシャル、俺を照らしてくれ。月の光よ、俺たちを派手に照らしてくれよ。