『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』

『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』は2017年5月から2019年4月まで本ブログ管理者である平民金子が執筆し神戸市広報課サイトにて連載されたコンテンツです。現在神戸市広報課サイトに本コンテンツは掲載されておりませんので、このたび神戸市さんのご好意により本ブログへの転載許可を頂きました。記事の著作権は神戸市にありますが、書かれた内容についてはすべて執筆者にお問い合わせ下さい。本コンテンツに大幅に加筆をした『ごろごろ、神戸。』が株式会社ぴあより出版されています。そちらもよろしくお願いします。

第38回 冬の水族館

特に混雑もしておらず、ベビーカーごと気兼ねなく入って行けるために重宝している飲食店がある。入口正面はお年寄りでも座りやすいようにと低いカウンター席になっていて、天井近くに置かれたテレビは誰が見るわけでもなくつけっぱなしになっている。しかし私はこの店に相当な回数通っているはずだが、視線を上げればいやでも目につくこのテレビの存在に今までまったく気が付いていなかった。というのも先日初めて一人だけで店に入った時に、ふと視線を上げた先に見慣れない物があったので不思議に思い「このテレビっていつから置いたんですか?」と店主に話しかけてしまったのだ。すぐに空気が気まずくなるのがわかった。店主はこわいものでも見たようにとまどいながら「え、ずっとここにあるけど……」と答える。画面からは退屈な芸能ニュースが流れていた。

私たちは普段外に出ると無意識のうちにさまざまな感覚を駆使して外界を認識しているが、幼児を連れているとその感覚はすべて彼ら彼女らのために捧げられる。以前なら、何かおもしろい物件でもないかしらと自由に動き回っていた視覚も、今は四方から自転車や車が飛び出して来ないかと子供のためだけに使っている。結局なじみの店にいる場合ですら自分は子供の方向、つまり下方向しか見ておらず、視線を上げた先にあるテレビにまったく意識が向いていなかった。小さな酒場で1人、カウンターに座ってぼんやりと見上げればそこにテレビがある。チューハイを飲みながらモノマネ番組や野球中継を「くだらねえなあ」と眺めている時間。『孤独のグルメ』の主人公、井之頭五郎の有名なセリフである『モノを食べる時はね 誰にも邪魔されず 自由で なんというか 救われてなきゃあダメなんだ 独りで静かで豊かで……』というような時間。妻にせよ私にせよ、ほか多くの母親にせよ子供といるといつの間にか欠けているのはそのような時間なのだった。

須磨海浜水族園にはこれまで何回通ったかもわからないが、1人だけでゆっくりと館内をまわるのは今日が初めてだ。普段子供といる時には素通りされるエリアを中心に、水槽で立ち止まり、説明文をじっくりと読む。ガンダムに出てくるズゴックのようなオオカイカムリ。こんな奴がいたのか。動きがたまらねえ……などと思いながら。いつもとはまったく時間の流れ方や、私自身の視線のさまよい方が違うのがわかる。イルカライブの開場をのぞくと開演40分前だというのに座席があらかた埋まっており、館内は冬の夜でも家族連れや恋人たちでにぎわっている。一通り見終えた後、もう一度入口まで戻って大水槽の前でぼんやりとこの期間だけ(夜間営業は2月12日まで)のプロジェクションマッピングを見上げながら、この角度だよと思った。酒場のカウンターで1人でテレビを見上げていた角度と同じだ。

にぎわう水族館を出、裏手の海岸まで行ってみると、さすがに寒すぎて真っ暗であたりには誰もいない。19歳の時にもこんな風に、ひと気のない夜の茅ヶ崎の海岸を歩いていたのだった。あまりにも闇が濃いものだから、私はこの世界で自分だけが存在しているような、自分が地球上で最初の、あるいは最後の人間であるような、それは十代の、ふたをすればするほど煮こぼれてくる自意識を持て余した結果の、孤独で贅沢な想像をしていた。

来た道をいったん戻って信号を渡り、たこ焼きとハイボール缶を買ってふたたび夜の海に向かう。こんなに誰もいなくて、粋なカウンター酒場はないよ。凍えそうな指先で缶を開け、熱々のたこ焼きをほうばり、ハイボールに口をつける。夏の間、ここでイルカが放たれていたんだ。何回通っただろうな。今は冬の夜空に輝くオリオン座と、街の色に染まる静かで美しい波を見ている。この瞬間は私だけのものだ。私は1人で、どこまでも自由だった。