神戸に住んでいるからにはふらっと散歩に行くような気やすさで阪神電車に乗り、タイガースの応援に行きたい。そんな事を考えながらもこの2年間は育児で手一杯で、球場に行くどころかせっかくサンテレビのお膝元だというのに野球放送すら見られていない現状だ。とは言っても、こちらに興味さえあればテレビやラジオに頼らなくとも新聞やネットでいくらでも情報を仕入れる作業はできるはずで、個々の選手の成績どころかセ・リーグ、パ・リーグの順位表すら今の自分は全然知らないという事は、結局忙しさを言いわけにして心が野球から離れてしまった事実を認めたくないだけではないか。野球観戦でも映画鑑賞でもなんでもいいけれど、かつてあれほど入れあげていたものに対しての気持ちが少しづつ、日々の生活にのまれて離れていってしまう事を認めるのはさみしいものだ。
桑田清原が活躍していた頃から私は親に連れられて甲子園球場に通い、16歳になるとすぐに売り子として働き出した。高校野球、プロ野球と三年間球場に通って観客席を歩きまわったが、グラウンドでの試合の記憶は松井秀喜選手が星稜高校時代に五打席連続敬遠された時くらいしかないので、よくよく考えれば私は肝心の野球よりも、甲子園球場という場所そのものが好きだったのかもしれない。アルバイト初日に勇気を出して広い観客席で声を出し、アイスクリームを買ってくれた老夫婦や、タイガースを応援する客席に入り込んでビールを売るために大声を出すと「邪魔じゃボケえ!!!!!」と殴りかからんばかりの勢いでメガホンで怒鳴ってきたおじさん、すべてがグラウンド外の、観客席での思い出ばかり。働いていたのは改装前の古びた球場の時代だが、見た目がいくら新しくなってもやはり甲子園は甲子園で、今でも入場門から通路を通って最下段から観客席を見上げると、「あ、ビール売らな」というような気分になる。
先週の火曜日。タイガース二軍のウエスタン・リーグ最後の三連戦があって、子供を連れて鳴尾浜球場まで出かけた。甲子園の一軍公式戦だとさすがに動き回る2歳児と一緒では観戦できないが、二軍戦ならなんとかなるのではないかと急に思いたったのだ。野球場が好きと言っているわりには二軍の主戦場である鳴尾浜球場には行った事がなかったし、今日はよりによって掛布監督が指揮を取る最後の鳴尾浜での試合である。行かない手はないだろうと朝から阪神電車に乗って甲子園駅で降り、バスのターミナルへ。バスが来るまでは人がちらほらとしかおらず、さすがに二軍戦はすいているな、のどかなもんだ、なんて気を抜いていたら、7番鳴尾浜行きのバスが到着した途端にどこからか、人が集まってくる。乗客たちの手には31(掛布監督の背番号)のリストバンド、着ている服には「生涯虎命」とプリントされていて、にわかファンの私と子供は場違いな思いで最後尾に座った。
流れて行く景色を窓から見ながら、やはり初めて乗るバスというのは旅情をかきたてられる、などと感傷にひたる間もなく、15分ほどで「次は県立総合体育館前」というアナウンスが流れる。ここで車内のあちらこちらからいっせいに「ジャリッ!ジャリッ!」という小銭の音がした。それは例えるならボクシングなどの格闘技で、これから戦おうとする選手がゴングの直前に左右のグローブをバンバンと合わせる、そんな戦士の気合い(音)にも似ていて、私は「次に来る時には俺も必ずこの所作を真似するぞ」と感動した。
私は持っていた掛布のタオルを、子供には鳥谷のタオルを首にかけ、220円払ってバスを降りる。子供にとっては今日が記念すべき野球観戦デビュー日であり、私もまた恥ずかしながら今年初めての観戦。歩くこと数分でついに神聖な鳴尾浜球場が見えて、ここで掛布監督が指揮をとっているのかと思うとタオルを握る手にも汗がにじむ。さあ戦いの時は来た…!
入場門まで辿りついた私たちを待っていたのは申しわけなさそうに立つ警備員さんだ。
さすがタイガース、さすが掛布監督である。
ここで自分ひとりならさっさと酒方面に頭を切りかえて近場の飲み屋でも開拓したいところだが、電車やバスに乗せられたあげく辿り着いた先には何もないで、すっかり機嫌が悪くなった子供を前にしてはそんな事も出来ない。
私は来た道を三宮駅まで戻ってそこからポートライナーに乗り、「神戸どうぶつ王国」へと向かった。
いま子供は目の前にある「物そのもの」と「その物につけられた名前」をひとつひとつ、一致させている時期である。
これはワオキツネザルのワオくん。ハシビロコウのハッシーくん。ペリカンくん、イノシシくん、カピバラくん、ウサギくん、カメさん、ナマケモノくん、レッサーパンダのレッサーくん。
そのように、動物たちの前で口に出して名前を教えながら、せっかくだからと屋外の牧場に出てアルパカを指差し
「カケフかんとく」
と説明する。納得したのかしていないのかはわからないが、子供はすっかり上機嫌になっていた。